
理想の恋。だけどそれは本当に?
[ 星を紐解くストーリーテラー ]
これくらいの気候になると、いい大人になったいまでも、時々、せつなくてやるせない、十代のような気分になる瞬間があります。ほんとうに一瞬ですけど。そして、その一瞬よりもっと短い刹那、初恋の彼が脳裏に浮かびます。というわけで前回の予告通り、恋の話なんぞをしてみましょう。
改めまして。みなさんは、初恋を大切にする派ですか? 忘れちゃった派ですか? それとも、なにかの戒めのために覚え続ける派ですか?
ずばり後者の私の場合…。先週、ちらりと書いたように、友人たちの助言もむなしく、秋、9月に破局を迎えた恋が、初めての儚い恋でした。いま思えば、彼の侵食的な態度を愛情と勘違いしていただけの幼くて刹那的なものでしかなかった関係ですが、実家の押入れの奥には、彼からもらった年賀状がおそらくまだあり、そこに書いてある住所を辿って、彼を訪ねてしまおうかと考えた夜もあったし、ある夜はFacebookで、彼の名前を検索してしまおうかと思ったこともあったし、またある夜は、魔術サイトを訪れ、復縁の魔術を調べたりもしましたが、これだけやって、結局すべて実行には移しませんでした。なにかの拍子に思い出の補正が消えてしまうことが怖かった、というわけでもなく、ただ、初めてを捧げる人の存在って、自分で思うより大きいんだなと感じたのです。
ゲイの世界の残酷な一面なのですが、ルックスがとても重要視される傾向があります。男性性を示す要素が強調されていればいるほど、ゲイの世渡りは楽になるのです。そそる、いける、やれる。すこしだけ俯瞰的な目線を得たいま、ひさびさに発音してみたらなんとまあ下品な表現たちですが、受け取るのがこんな言葉であったとしても、誰にもなにも言われない存在になることのほうが当時は怖かったのかもしれません。
求められたいと思えば思うほど、その世界では、恋愛観の一致とか価値観の相違は関係ないというか、問題にすらされないことが多くて、すぐに疲れてしまいました。要はワンナイトで終わってしまったり、身体だけの関係になってしまう、ということですね。どんなに背伸びをして、どれだけ着飾っても、内側には「一度肌を合わせたらもう、他人じゃなくなるはず」と必死に祈っている16歳の私が、まだいたのでしょう。だから、繋がりを前提としない関係がつらく、苦しかったんだと思います。

ゲイバーで働いていたときのママのお説教のひとつに、「友達は金で選べ」というのがありました。羽振りのいい人に媚びよという意味ではなく、自分の稼ぎと同じような収入の相手とつるめ、ということで、そうすれば、営業件数や仕事内容の差で変な気を遣い合ったり、食事や飲み会などでどうしても滲み出てしまう収入格差で傷つくこともないという、なんともしょっぱいセオリーなのですが、私の場合は恋愛においてもそうだったのではないかと、あるとき、ふと内省しました。つまり、一番自分が傷つかないと感じるやり方を、どこかで身に着けていたんじゃないかと。言い換えるなら、相手のことをちっとも分かろうとしていなかった。結果的にそれが、自分で自分を痛めつけているだけとも知らずに。
なかなか分かり合えないからこそ、人付き合いは楽しい。そういう考えに至るまでずいぶん遠回りをしました。「フツー」の基準は人によって違う。いまとなっては当たり前の感覚ですが、当時は、自分自身の基準からずれている人にはたちまち心を閉ざし、ときには攻撃的に振る舞ってすらいました。弱点を見せたくないがゆえの過剰防衛だったのだと思いますが、それこそが、私のほんとうの弱さだったのです。他人に心を開けない。自分自身のずれにすら気づけない人間に、誰を理解できるというのか。そう思ったとき、完璧だと信じていた心のどこかが、だんだんと色褪せていく気がしました。
お互いの違いから目を背けることは、まわりまわって、自分自身の矛盾に苛まれることにしかならない、と考えるようになったのはそれからで、少しずつ、できるだけ肩の力を抜いて、壁を作らずに人と接することを意識しました。もちろんそれは、デリカシーのない言葉や失礼な態度を直に受け止めることにもなるわけですが、自分と他人を隔てる要素を探るヒントとして、存分に役立ちました。
私は傷つくたびに、「なぜ傷ついたと感じた? 同じように傷つけたことがあるから?」と禅問答のような自分セラピーを繰り返し、他人の反応を試してうかがうのではなく、己の状態を知る指標にしました。例えば宝石の研磨のように、無数に傷ついたその先に輝くものが残るんじゃないかと。それはいつしか希望となって、私の中心にある変わらないものになりました。

人は失くしたと感じるものほど惜しく思えるけれども、そういうとき、自分が奪ってきたものに対しては無関心だったりするものです。理想だけに全振りした恋愛も、もちろんありだと思います。しかし、そこにはジレンマが内包されていないでしょうか。「こうだったらいいのに」と思う自分の理想の関係性や外見を、スクリーンの代わりに選んだ恋人に投影しているにすぎないのではありませんか。投影が終わったとき、つまり夢から醒めたとき、自分が望んだはずの「理想の恋の相手」はどこにもいない。そもそも最初からそんな相手は存在すらしていない。それは失恋したといえるでしょうか。相手を消費しただけ、もしお互いがそうなら単なる馴れ合い。いまの私にはそう見えます。
在りし日の3人組アイドルは、曲の中で「みんなparadox抱えてる」と歌っていましたが、実際そうだと思います。外に出せない矛盾なんて、多かれ少なかれ、たぶん誰しもが抱えているものですから。
けれども、少なくとも、昔のような恋愛はもうしないでしょう。いちいち向き合ってなにかと戦い続けるのは、ときには疲れる作業だけれども、馴れ合いから得られるものはなにもない。私自身が自分をいちばん分かってやらなくてはいけないのです。欲しいものを、誰かが与えてくれるまで口を開けて待っているような生き方を、繰り返さないように。
あの頃の初恋へ、口を開けて待つのは、歯科検診だけで十分だよ。加賀より

儚く移ろう季節のなかで心に波が打つように、みなさんひとりひとりの運気も常に変化しています。ここではそんな運気の流れを、西洋占星術やタロットカードを用いて、毎週お知らせしていきます。私の言葉が、頭で分かるだけじゃなく肌で感じるなにかのヒントになりますように。
前回の記事→【10月前半の運勢】水星逆行を味方につける方法

【Hurly Burly(ハーリィ・バーリィ)】(https://www.hurly-burly.net/)
西洋占星術&トートタロット鑑定
パワーストーンアクセサリー
魔法の小道具のお店
この記事へのコメントはありません。