
お婆ちゃんの家とツバメと私
[ 獣医師が教える! 飼うのも動物園に行くのにも役立つ&楽しくなる動物の話 ]
「ドッドッド…」、耕運機の音が響き始めると春が始まります。カチカチの乾いた土の田んぼに、肥料を撒きながら土をかき混ぜる、田起こしの音です。
田んぼの周りの畦(あぜ)の修理を終えると、田んぼに水が張られます。水面には、春の青空、畦に咲く黄色い菜の花が映り込みます。土から追い出されたカエルは冬眠から目を覚まし、「ゲロゲロ」と一斉に鳴き始めます。
カエルの声が聞こえ始めると、小学生の僕はお婆ちゃんの家の横の田んぼに向かいました。カエルとイモリを捕まえるためです。
捕まえるのに夢中で、必ず田んぼに落ちます。捕まえたカエルとイモリをバケツに入れ、泥だらけの恰好でお婆ちゃんの家に向かいます。お風呂に入り、お婆ちゃん手作りのおやきを食べて家に帰ります。お婆ちゃんはいつもそんな僕のために、着替えの服と靴を用意して、汚れた服と靴を洗っておいてくれました。
田んぼに水が張られると、お婆ちゃんはいつも玄関を開けっ放しにしました。お爺ちゃんはいつも「不用心だ」と文句を言っていましたが、お婆ちゃんは毎日、陽が昇るとともに玄関を開け、陽が沈み暗くなるまで開けっ放しでした。
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お婆ちゃんの家には5月になると、毎年2羽のツバメがやってきました。玄関、それも外ではなく、家の中の大きな梁(はり)にお椀型の巣がありました。ツバメは帰巣本能によって、毎年同じ巣に帰ってくるそうです。

お婆ちゃんが言うには、毎年家にくるのは「ピー子」と「ピー吉」だと言っていました。しかし、大きくなった巣立ちのツバメを「ピー子」と呼んでいたのでちょっとこの話は怪しかったですが。
ピー子とピー吉は仲良く一緒に泥と枯草を唾液に混ぜ、昨年使った巣の修繕をします。そして、ピー子は卵を産んで温めます。2週間ほどで雛が孵(かえ)ると、ピー子とピー吉は雛たちのために休みなく餌となる虫を捕まえ、せっせと運びます。
お婆ちゃんはそんなツバメのために、朝日とともに起きて玄関を開け、夕方にツバメが帰ってくると玄関を閉めていたのです。
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ツバメが来ると、小学生だった僕にお婆ちゃんは、「これで今年も我が家は安泰だ」と言いました。「ツバメは幸せな家にしか巣をつくらないんだよ」と教えてくれたのです。
お婆ちゃんはツバメがやってくるのを毎年楽しみにしていました。お爺ちゃんはというと、ツバメが来るたびに糞(ふん)で汚れる、臭いだの雛の声がうるさいだの文句ばかり言っていました。
ツバメの体色は、頭から背中にかけて光沢のある黒に近い藍色、お腹は白、首は濃赤、長く細い尾羽はV字に切れ込んでいます。
流線型の体型は、時速100㎞以上のスピードが出せるうえ、ものすごいスピードからいきなり切り替えすこともできます。高い位置を飛んでいたかた思うと、いきなり急降下して田んぼの水面すれすれを飛んだりもします。飛ぶ姿は美しく、とってもカッコよい鳥です。

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ツバメは春になると東南アジアから日本にやってきます。そして日本で繁殖をします。日本にやってきたツバメは、まずは子育てのための巣をつくる場所を探します。カラスなど他の鳥からの攻撃や、蛇や猫などの天敵から卵や雛を守るために、人がいつもいるところや、人の出入りが多いところに巣をつくります。
つまり、ツバメは人間を利用するのです。確かにお婆ちゃんの家の玄関は、一番危険な夜は戸が閉まり安全で、昼間に餌をとりに行っている間はお婆ちゃんが卵や雛を見守ってくれるので、最高に安全な場所です。
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僕が中学生になった時、お婆ちゃんが体調を崩ししばらく入院することになりました。中学校の帰り、お婆ちゃんに頼まれたタオルをとりにお婆ちゃんの家に行ってみると、玄関が開いていました。玄関の中に入ると新聞が敷いてあり、上で「ピ~、ピ~」と雛が鳴いていました。
どうやらお爺ちゃんが、玄関を開けているらしいのです。家事などは一切しない、頑固で無口、ツバメの文句ばかり言っていた、そんなお爺ちゃんがツバメのお世話をしているなんて…。雛が落ちないようにと、ツバメのために棚までつくってありました。

お婆ちゃんが入院するときはピー子とピー吉の2羽だったのに、退院して家に帰ると、全部で6羽になっていました。
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やがて僕が大学生になると、お婆ちゃんとお爺ちゃんは叔父さんと一緒に住むことになり、お婆ちゃんの家は空き家となってしまいました。
夏休み、空き家のお婆ちゃんの家に行ってみると、玄関の中の梁の巣は、巣の一部が壊れてはいましたが、直せば使えそうで、まだしっかりしていました。そして、玄関の外の軒下に作りかけのツバメの巣がありましたが、残念ながらツバメはいませんでした。
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ツバメがどうやら最近減っているようです。
昔ながらの縁側や軒のある家が減っているため? 田んぼが減って餌の虫がいないため?
冬を越すための東南アジアの環境の悪化のため?
僕の子供の頃はあちこちの家でツバメの巣がありました。しかし、今はあまり見なくなりました。幸せな家にしか巣をつくらないツバメが、日本から減っているということは、日本から幸せが減っているの? もし地球上からツバメが減っているとしたら…。

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僕が働き出したころ、お爺ちゃんが亡くなり、しばらくしてお婆ちゃんが亡くなりました。亡くなってから数年後、叔父さんは家を売ることにしました。お金持ちだったら僕が買ったのですが、当時の僕にはそんな財力はありません。
売れる前に掃除をしようと、久しぶりに家に行きました。5月のよく晴れた日です。お婆ちゃんの家の横の田んぼは、ファミリーレストランになっていました。玄関を開けると大分壊れかけていましたが、お爺ちゃんがつくった落下防止の棚の上には、まだ巣がありました。
長いこと人が住んでいなかったためか、かび臭い匂いが充満していました。窓を開け、玄関も開けっ放しにして部屋に風を送り込みました。玄関の框(かまち)に腰掛け、持ってきたお茶を飲んでいると、2羽のツバメが玄関の中に入ってきました。まさか、ピー子とピー吉? 「お風呂沸いたよ、早く入りなさい」。奥からお婆ちゃんの声が聞こえたような…。
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今年も信州の家の前の棚田に水が張られました。水面には柔らかで優しい青色の空と、芽吹き出した木々が映し出されます。夜になるとそれぞれの棚田に月が映り込み、春の風が水面の月を揺らします。
翌日には早速、つがいのカルガモがやってきました。カエルも鳴き出し、夜も賑やかになりました。そして、田んぼの上を今年最初のツバメが飛んでいます。あのツバメ、僕の家に巣をつくってくれないかな。


子供の頃から生き物が大好き。
“蟻の飼育”から始まり“象の治療”まで、たくさんの生き物と接してきました。そんな経験から生き物の不思議を発信します。
北澤功さんの紹介ページは→こちら
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