
獣医師ができること、できないこと ~ボス猿と雌のチンパンジーの結末から紐解く
[ 獣医師が教える! 飼うのも動物園に行くのにも役立つ&楽しくなる動物の話 ]
動物園のニホンザルのサル山でクーデター発生
動物園でサルの世話をしている川田が、僕の病院に飛び込んできました。昼休み、病院の椅子で寝ていた僕の肩をたたき、「カンタがやられました…」と一言。
ひとまず双眼鏡を首にぶらさげサル山に行くと、体の大きさなら1位の雄(オス)ザルのカンタが、一番下段のコンクリートの床に倒れ込んでいました。周りでは子供のニホンザルたちが、遠巻きで見ていました。そして第3位の雄が、カンタのお気に入りの場所で雌(メス)に毛繕いをされていたのです。
ニホンザルは、群れの中で順位があります。野生では年功序列で順位が決まりますが、閉鎖された動物園の環境では、体の大きさや強さも関係しています。
双眼鏡で見るとカンタは、お腹がゆっくりと上下しているので生きています。カンタはこれまで、ボス猿として君臨していました。ボスというと群れをまとめるリーダーのように感じますが、ただ単に食べ物や雌をめぐる優位性があるだけです。
人間20人をもってしても、捕まえられないほどの強さ
カンタは5年以上の間、このサル山を牛耳っており、周りにはいつも数頭の雌ザルと子ザルがいました。大きな体で尻尾をあげ、大きな睾丸(こうがん)を振り振りしながら歩きます。
動物園では年に1回、全頭を捕まえて健康チェックとマイクロチップの確認をします。そして雌にはホルモン剤を埋め込むのですが、カンタはいつも最後まで捕まらず、職員20名ほどで一斉に追い込み、何とか網で捕まえたほど強いのです。
捕まえて抑え込むと、たいていの子供ならガックリとしてなすがままなのに、カンタはどんなに抑え込もうが、隙さえあれば逃げようと力いっぱい抵抗します。常に口を大きく開け、大きく尖った犬歯を僕たちに見せつけました。

5年前、カンタは圧倒的な強さでナンバーワンの雄になりました。カンタが第1位になってから、比較的トラブルが少なくなりました。他の雄たちには厳しいカンタですが、雌や子供たちには寛容でカンタの周りにはいつも雌や子供たちがウロウロしていました。カンタが横になると、すかさず誰かが駆け付け毛づくろいをしました。時々カンタも雌にしてあげます。
弱ってきた様子は、周囲にはしっかりとバレてしまいます
そんなカンタも2年前に上の犬歯が一本抜け落ち、1年前にはもう片方の上の犬歯も折れてしまいました。倒れる前の数か月間は筋肉も落ち、全体に白い毛が混ざり始めました。
そんな様子を感じとったのか、以前ではありえなかったのですが、餌を食べているカンタに近づく雄が現れ始めます。カンタはそんな雄たちに口を大きく開け威嚇(いかく)するのですが、犬歯の抜けた歯では迫力が半減してしまいます。
いつも周りにいた雌たちも次第に少なくなり、彼女らは他の雄の周りにいることも。そんな時に、事件が起こりました。第2位、3位の雄がクーデターを起こしたのです。

サル山の上段にあるカンタのお気に入りの場所に、血痕が多くありました。寝ているカンタを、第2位と3位の雄が襲った様子。
最近年齢のためか、耳が聞こえにくくなっており、2頭が近づくのに気づくのも遅かったのではと考えられます。血痕を見ると、山から転げ落ち、そこでも噛まれた様子。
死因は身体的なケガよりも、精神的なショック
担当の川田と僕は、2人でサル山に入りカンタを寝室に運びました。あまりの軽さとやせ細った腕が、カンタの老いを感じさせました。
園内の動物病院に運び診察すると、呼吸はしていますが呼びかけても反応がありません。足と手の指は、3本噛み切られていました。
全身で30か所以上噛まれていましたが、太い血管は傷ついておらず、出血は止まっており、出血量も大したことはありませんでした。打撲はあるけど、骨折はありません。
すぐに麻酔をかけ縫合、手術も無事終了。麻酔から醒(さ)めるとすぐに立ち上がり、ケージの隅に行ってうずくまりました。怪我の状態、血液検査の結果から、翌日にはサル山に返せると考えました。
しかし、翌朝ちょっと早めに病院の入院室にいくと、ケージの中でカンタがうつぶせで倒れていました。呼吸も止まっています。
動物園の動物は、死亡すると原因究明のためすべて病理解剖を行います。カンタの解剖所見は、特に疾患もなく、内臓の損傷も認められず、ショック状態による心不全でした。カンタは、“クーデター”という精神的ショックで、“生きようとする力”を失ったのではと思われます。

なぜ雌のチンパンジーは、雄に攻撃されたのか?
話は変わりますが、僕が出会ったチンパンジーに、アサコというメスがいました。アサコはお母さんの育児放棄により、僕たち人間によって5才まで育てられました。しかし、いつまでも人間の手によって育てるわけにいかないため、他のチンパンジーと一緒にすることにします。最初は子育て上手の雌のミセスと一緒にしました。
比較的順調に同居ができました。それから2週間、いよいよ大きな雄のサトシと一緒にすることにします。アサコのいる部屋に、雄のチンパンジーサトシを入れました。
最初は部屋にある果物を食べ始めたサトシですが、アサコが「ホホホホー」と口をとがらせ不安な声をあげると、サトシは足音をドンドン鳴らしながらアサコに近づき「ウォウォ」と激しく吠えて威嚇(いかく)しました。
その時アサコがお尻を見せず、口を大きく開き悲鳴を上げてしまいました。するとサトシはその口を噛み、アサコの下顎(したあご)はかみ砕かれてしまいます。

僕はあわててサトシを自分の部屋に戻し、アサコを救い出しました。チンパンジーは、必要のないトラブルを避けるためのルールとして、威嚇をされると弱いほうはお尻を向け戦う意志がないことを示す“まいりました”をします
しかしアサコは悲鳴を上げ、口を大きく開けたことにより“まいりました”ではなく、犬歯を見せつけ戦う意志を示してしまったのです。僕たち人間が育てたことにより、チンパンジーの社会のルールを知らなかったのでした。
手術後間もないのに、食欲が非常に旺盛なのはなぜか?
すぐに病院で手術です。顎だけでなく、腕も足も噛まれていました。顎はワイヤーを使用し固定、そのほかの傷も思った以上にひどく全身で100針以上縫合しました。
麻酔から醒めるとあっという間に、右腕につけていた点滴を外してしまいました。そうなると栄養は、口から摂るしか方法がありません、麻酔から醒めて5時間ほどして、僕は薬を混ぜたバナナとりんごと野菜の特性ジュースを作り、飲ませました。あっという間に飲んでしまい、もっと欲しがります。
そして、僕の横においてあったバナナを奪いとり皮がついたまま、手術したばかりの顎を使ってあっという間に食べてしまいました。痛さより、食べないと死んでしまうことを考えての行動です。“生きようとする力”のすごさを感じました。

ニホンザルも人間と一緒? たくましいだけではモテません
ニホンザルの元ボスであるカンタと、ずっと人間と暮らしてきた雌のチンパンジーのアサコ。似ているようで、全く逆の結末を迎えてしまいました。
僕たち獣医師の治療は“生きる力”を助けているだけで、“生きようとする力”を失ったものは助けることができません。
サル山のその後は、第3位の雄が第1位になりました。なぜ、第2位の雄ではないのか?
第3位はとってもマメで雌にやさしく、たくさんの雌の支持がありました。
雄が第1位になるためには、力だけではなく、雌の力が大きく作用するわけですね。


子供の頃から生き物が大好き。
“蟻の飼育”から始まり“象の治療”まで、たくさんの生き物と接してきました。そんな経験から生き物の不思議を発信します。
北澤功さんの紹介ページは→こちら
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