
幻の鷹「ツミ」が、“幻”ではなくなった理由
[ 獣医師が教える! 飼うのも動物園に行くのにも役立つ&楽しくなる動物の話 ]
「雀鷹」と書く、日本で一番小さな鷹
寒い日が続く朝、東京都大田区内のとある幼稚園の園長さんから1本の電話がかかってきました。大きな鳥が幼稚園の窓の下で見つかり、動かないとのこと。
北澤「どんな鳥ですか?」
園長「なんだろう。ワシみたいな鳥です」
北澤「大きさはどうですか。鳩より大きい?」
園長「大きいです」
北澤「カラスとどっちが大きいですか?」
園長「うーん、カラスよりは小さいかなぁ」
北澤(となるとワシではないな。タカかな)
僕は見当をつけ、園長さんに連れてくる際の注意点を伝えました。
「段ボールに入れて、うちの病院まで連れてきてください。段ボールの中にカイロや湯たんぽなどを入れて温かくしてくださいね。
ぐったりしていてもいきなり暴れたりすることがありますから、捕まえるときは足の爪に気を付けてくださいね。
爪でつかまれると大けがをすることもありますから、できれば皮の手袋、なかったらどんな手袋でもいいので、とにかく何か手に装着したほうがいいですよ」
それから1時間ほどで、園長さんがミカンのダンボールを抱えて病院にやってきました。僕は皮手袋をつけて捕獲用のネットを用意し、蓋(ふた)をそっと開けます。
中からはクリクリした目のかわいい鳥が、僕を見上げていました。瞳の周りが黄色で、大きさは鳩よりも少し大きいぐらい。嘴(くちばし)は鋭く、胸には鷹班(波模様)がありました。
鷹です。この大きさから考えると、日本で一番小さな鷹の「ツミ」の雌(メス)のようです。ツミは漢字で書くと「雀鷹」と書くほど小さい鷹です。

ハヤブサが好む生息地は、日本屈指の大都会・新宿
昔は、ツミは「幻の鳥」と呼ばれるほど、めったに見ることのできない鳥でした。しかし最近では、公園や街路樹を利用して繁殖することによって、東京のような都会でも生息するようになりました。主に小鳥を食べるため、餌に困ることも比較的少ないのです。
また、ツミばかりでなく、東京にはハヤブサが生息しています。彼らが住んでいるのは東京の中でも人口が多く大都会のイメージが強い新宿です。
スズメやカラスのように昔から人間の生活圏の近くにいたわけではない鳥が、そんなところで暮らせるの?と思いますよね。
実際にハヤブサは一時、生息数を減らしました。しかし、彼らは人間とともに生きる方法を選択し、現在に至るまで地道に生息数を増やしています。本来は断崖に棲みついて鳥や小動物を餌とするハヤブサですが、東京では、高層ビルを人工的な断崖とみたてて巣を作り、公園や街路樹に暮らす鳩やムクドリを餌としたのです。
ハヤブサは高い位置を飛びながら獲物を探し、見つけると羽をとがらせてロケットのような形で急降下、時速300㎞を超えるスピードで獲物を捕らえます。もともと上昇気流や下降気流などを利用して狩りをするハヤブサにとって、絶えずビル風が発生する高層ビル街は最高の住処となったのです。

クマが冬眠しない。東京湾にトドが出没。その理由は…?
このように野生動物たちは、環境の変化、特に人間の活動に順応することで生息数を増やしています。鳩、ムクドリがそうで、ゴキブリも同じ。それらを餌にするハヤブサ、オオタカなども増えています。
ツミも本来は山地や丘陵地を中心に生息していましたが、都市をはじめ人間の生活圏に順応してきた生物の一種です。
逆に、暗ければ暗いほど能力を発揮するフクロウなどは、その数を減らしています。以前は都内のお寺や神社にも生息していましたが、人間の生活により暗闇が減ってしまったためだと考えられています。
また、僕の知識ではツミは渡り鳥のイメージで、この時期は暖かい地方に移動していると思っていました。しかし最近の温暖化により、暖かいところに移動せずに東京にとどまるツミも多いようです。
最近の急激な気候変動の影響で、冬眠しない熊がいたり東京湾にクジラやトドが現れたりと、今までの常識が変わってきているのかもしれません。

(このツミも、わざわざ海を渡らずとも日本で冬を超えられると、渡るのをやめたのかもしれないな)
そんなことを考えながら、まずはツミの様子を観察します。
エサを喉に押し込む。実はこれが最高の治療法
頭と羽は下がり、立ってはいるもののフラフラしていて、とっても衰弱していました。止まり木につかまる力もないため、タオルにくるまれかろうじて床に立っている状態でした。首はやや傾き、眼球は眼振と呼ばれる症状で常に左右に揺れていました。
どうやら窓ガラスにぶつかって脳震盪(のうしんとう)を起こしたようです。軽症の時は2~3時間で元に戻るのですが、このツミちゃんは重症のようです。
まずは炎症を抑える薬と栄養剤を注射し、そして徹底的に温めました。
翌日からは強制給餌(きゅうじ:エサを与えること)です。エサは鶏のモモと胸肉、レバーと心臓など内臓も用意しました。切った肉をピンセットでつかみできるだけ喉(のど)の奥、胸にある「そのう」という食べ物を貯蔵している部分まで押し込みます。

鳥の強制給餌はいかに素早く「そのう」までエサを送り込めるかにかかっています。
口の中に入れるだけだと、頭を振って吐き出してしまうか、弱っている時は窒息してしまうこともあります。
また、あまり大きいものを与えすぎるとそのショックで虚脱(心臓が弱って体力がなくなり、死にそうになること)、命を落とすことも。
強制給餌はとっても神経を使いますし、経験も必要なのです。
このツミちゃんは弱っているため、まずは小さく(大豆ぐらい)切ったもも肉を「そのう」まで送り込みました。一瞬力が抜け、頭がカックンと落ち込みましたが、すぐに頭をあげたためひと安心。間隔をあけて1日に7回ぐらい鶏肉を与えました。
3日ほど強制給餌を続けるうちに、口の中に入れると自分で飲み込むようになりました。もっともっととおかわりをねだる元気も出てきました。まだ眼振はあり、止まり木に止まるまでには回復していませんが、それでも床の上ではしっかりと自力で立てるようになりました。
それから2日、治療は強制給餌だけです。強制と言ってももうこの頃には、ピンセットでつかんだ肉を目の前でプルプル揺らすと、自分から嘴でつかむようになっています。眼振はだいぶ減り、首も正常な位置に戻りました。
なんと、止まり木につかまることもできました。
翌日からは鶏肉を大きいまま地面に置くと、足の鋭い爪でつかみ、嘴を使って飲み込める大きさに噛み切り自力で食べました。僕が近づくと頭を上下に振り餌をねだります。
そのさらに翌日には、餌を地面に置いたままツミちゃんを僕の腕に乗せて少し離れると、自分で飛んでいって餌をつかみました。
お別れの時期が近づいてきたようです。
その後、どうなったか
病院に来てから2週間。もう眼球の振れはおさまって、体重も増えています。
病院が休診の朝、入院している猫ちゃんの治療を終えたあと、僕はツミちゃんをケージから出して腕に乗せました。床に鶏肉を置くとすぐに鶏肉に向かって飛び、鋭い爪でつかんで食べました。
その日はいつもよりたくさんのエサを与えました。
食べ終えると僕の腕に戻ってきました。腕の上で羽繕い(はづくろい:嘴で羽の乱れを整えること)をおこない、ひととおり手入れをしてきれいになると、頭を下げます。
これは「頭を撫(な)でて」の合図。小さい頭を優しく撫でてあげると気持ちよさそうに目を閉じます。
小一時間のんびりとした時間を過ごしたあと、ツミちゃんを段ボールに入れ、木々がたくさんある近所の大きな公園に連れていきました。段ボールから出し僕の腕に止まらせます。
ツミちゃんは周りをキョロキョロと見てから、僕の腕から近くの松の木の枝に飛び移りました。それから僕の方を見て頭を2回上下に揺らして「ピーピッピッピッピ」と甲高い声で鳴き、大空に飛び立ちました。
僕が見上げていると、ツミちゃんは上空を2回転してから西の方角へと飛んでいきました。それからは時間ができるたびに公園に行ってみますが、ツミちゃんはそこにはいません。
(きっともう会えることはないけど、都会のどこかで元気に暮らしてくれればいいな)
力強く飛んでいったツミちゃんの姿を思うと、まだ冷たい空気が少し和らぐように感じます。


子供の頃から生き物が大好き。
“蟻の飼育”から始まり“象の治療”まで、たくさんの生き物と接してきました。そんな経験から生き物の不思議を発信します。
北澤功さんの紹介ページは→こちら
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