
ハムスターの「シロ」は、僕の大事なお母さん?
[ 獣医師が教える! 飼うのも動物園に行くのにも役立つ&楽しくなる動物の話 ]
「先生、この子を助けて…」
長く外で待っていたらしいその男の子は、ジャンパーに包まれた塊を僕の前に出しました。
数日前からの予報通り、東京でも昨晩から降っていた冷たい雨が、朝方には雪に変わっていました。僕は診療が始まる前にコンビニで買ったコーヒーを飲みながら、パソコンで朝のニュースを読んでいました。
転んで怪我をした人が〇人、スリップ事故が〇件、○○高速道路では交通渋滞…、雪によりこんなにも被害があったというニュースが多く報じられます。ニュース動画では、電車が止まってホームに人があふれる昨晩の映像が流れていました。
こんな状態でも仕事をするためにまた出かけるなんて日本人はすごいなと、他人事のようにニュースを次々とチェックしていきます。
そんな僕も病院を休診にするわけでもなく、いつも通り診療の準備を始めました。
そんなとき、
「先生、男の子がドアの前に立ってますよ! まだ時間前だけど、中に入ってもらっていいですか?」
朝の掃除をしていた看護師の中田さんの元気な声が聞こえました。
北澤「え?とりあえず待合室に入ってもらって」
中田「はぁい」
中田さんが鍵をあけ、ドアを開く音がしました。
パソコンを閉じ受付から待合室の方を見ると、トレーナーを着た小学生くらいの男の子が震えながら立っていました。手にはジャンパーにくるんだ何かを持っています。
僕は診察室に入るよう、待合室の男の子に声をかけました。

恐る恐る診察室に入ってきたその子は
「先生、この子を助けて…」
と今にも泣きだしそうです。
震える手から受け取ったジャンパーを診察台の上に乗せてそっと開くと、中から8cmほどに丸々と太った真っ白なハムスターが出てきました。
体は冷たく呼吸もしていません。
北澤「名前は何ていうの?」
男の子「健太郎」
北澤「あ、違う違う。ハムちゃんの名前!」
男の子「シロ」
北澤「何歳かな?」
男の子「8歳」
なんと! 今までで最高齢です。人間にしたら300歳…。
(いやいや違うか)
北澤「健太郎くん、シロちゃんは何歳?」
男の子「1歳」
まずはペットヒーターを最大にして「シロ」をのせ、ドライヤーで温かい風を与えながら、酸素マスクをあてます。
長いこと外にいた健太郎くんの体も冷えきり、シロを失うかもという恐怖からか震えています。
北澤「シロの背中を優しくさすってあげなさい。名前も呼んであげて」
とにかく今はシロの命を救うことが最優先です。
そうして20分ほど経ったとき、シロちゃんの丸々としたお腹がゆっくりと上下しました。
ゆっくりではあるが呼吸を始めた様子。血の気がなく青白かった顔にもだんだん赤みが戻ってきました。そして口を数回カクカクすると、今度は手足をバタバタと動かし始めました。意識も戻ったようです。僕はシロちゃんをタオルで優しく包み、針をはずしてある1㎖の細長いシリンジ(注射筒)の先を口にほんの少し押し込んで、用意したスペシャルドリンクをゆっくりと口の中に押し出しました。
シロは口をクチャクチャと動かし、その後、喉がごっくんと動きました。もうこれで大丈夫です。

落ち着いたところで健太郎くんの話を聞いてみると、彼は小学2年生。お父さんを小さいころ事故でなくしてからは、お母さんと2人暮らしだったそうです。しかしそんなお母さんも病気のため、長期の入院が必要になったそう。
お母さんの入院の前日、健太郎くんの大好きなハンバーグの材料を買いにお母さんと2人でショッピングセンターに出かけました。
そこに併設されたペットショップで犬や猫を見るのが楽しみな健太郎くんは、いつものように買い物を終えると、
「ワンワン」「ミィー」
と聞こえてくるかわいい声に導かれるように、ペットショップに入っていきました。
小さな子犬がガラス越しに尻尾をフリフリしながら健太郎くんに近づいてきます。
ガラスに顔をくっつけて子犬を見ている健太郎くんに
「抱っこしてみますか?」
と店員のお姉さんが声をかけました。
「ううん、見てるだけでいいの。僕の家では飼えないから」
健太郎くんが慌てて答えると、お姉さんはにっこりと笑って健太郎くんを近くのソファに座らせました。そしてケージのドアを開けて中から真っ白な子犬をそっと抱き上げると、座っている健太郎くんの膝に乗せてくれました。
膝の上で尻尾をフリフリと甘える子犬を、健太郎くんは不器用な手つきでナデナデしていました。
そんな姿をお母さんは遠くから見ていました。

一通り犬を見てから、隣の小動物コーナーに向かいました。ウサギコーナーの横に小さなケージがあり、床にはチップが敷き詰められています。
そのチップの中から、黒く大きな目がついた白い顔だけを出しているハムスターがいました。これがシロちゃんです。
健太郎くんはこのハムスターにひとめ惚れをしました。
「この子だったら飼えるかな?」
ドキドキしながらお母さんに聞いてみます。
最近は元気のなかった健太郎くんからの、久々の笑顔のお願いでした。
お母さんはハムスターの値段とその横に置いてある飼育セットの値段を確かめ、ハムスターを飼うことにしました。
こうして真っ白なハムスターのシロちゃんは、晴れて健太郎くんの家族となったのです。
お母さんが入院している間、健太郎くんは近所に住む一人暮らしのおじいちゃんと暮らすことになりました。
おじいちゃんは夜警の仕事をしているので、健太郎くんが学校から帰って早い時間に夕ご飯を一緒に食べると、仕事に行ってしまいます。
夜はいつも家に一人。寂しさを紛らわすためにいつもテレビをつけています。
そんな中、シロをケージから出してひまわりの種をあげるのが健太郎くんの毎日の楽しみでした。シロと遊んでいる間は、寂しい気持ちを忘れることができたのです。
お母さんの体調がいいときは、夜の8時に電話がかかってきます。学校での友達との楽しいお話をすると、お母さんは喜んでくれました。
しかし本当は、ゲームもスマホも持たず、習い事もしていない、恥ずかしがりの健太郎くんには友達がいませんでした。学校もあまり楽しくありません。それでも健太郎くんはお母さんに心配をかけたくないのです。
電話を切るとシロをケージに戻し、テレビの前に丸めておいた布団を伸ばして電気を消し、お布団に入ります。布団から手を出してリモコンでテレビを消すと、急に家の中が静かになりました。お母さんと暮らしていたときは、お布団に入ると寝る前に必ず本を読んでくれたことを思い出します。
お母さんのいない今は、冷蔵庫の音だけがやけに響く部屋で布団を頭からすっぽりとかぶって、健太郎くんはギュッと目をつぶります。

すると
「コロコロコロ ガラガラガラ」
とシロが回し車を回す音が響き始めます。
この音を聞くとなんだか安心して、寝ることができました。コロコロの音はお母さんの声の代わりとなったのです。
健太郎くんにとってシロは友達であり、お母さんであり、かけがえのない家族なのです。
今回、シロは温度が低すぎたことによる低体温の仮死状態となっていて、温めることにより元気になりました。
寒いときにはヒーターをいつもシロが寝ているところの下に敷き、ケージには毛布を掛けて寒さ対策をしっかりするようにと健太郎くんに教えます。
また、太り過ぎなのでひまわりの種はしばらく禁止にし、代わりに段ボールで迷路を作ったり、トイレットペーパーの芯でトンネルを作ったりするといった、運動にもなる遊びができるような仕掛け作りを伝えました。
健太郎くんは何度も頭を下げながら、大切そうにシロを抱えて帰っていきました。
ふと中田さんを見ると、彼女の目のふちが赤くなっています。
どうやら僕たちの話を聞いていたようです。
「先生、シロちゃんは健太郎くんのお母さんの代わりなんですねぇ…」
鼻をすすりながら言う彼女の手にモップを持たせながら、僕はそうだねと相槌を打ちます。
シロは今夜からまた元気にコロコロ回し車の中を走るのでしょう。
お母さんが退院できるまで、シロは健太郎を寝かしつけるのでした。


子供の頃から生き物が大好き。
“蟻の飼育”から始まり“象の治療”まで、たくさんの生き物と接してきました。そんな経験から生き物の不思議を発信します。
北澤功さんの紹介ページは→こちら
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