
デジデン編集部の閑話ネタ その①
[ 四十路新米ライター、惑いまくり日記 ]
「長島さん、タイトルもっとエモくなりませんか」
編集長がこうのたまったとき、この一文の「エモさ」に鼻から血が吹き出そうになった。編集長から自然に発せられるこのワンフレーズ、この世界観。これこそ「エモい」ではないか。
萌えるも束の間、四十路新米ライターの頭脳からエモタイトルはいっこうに生まれず、編集長の鶴の一声であっさり決まった。
デジデンで活躍する作家先生にインタビューし、記事を書いて2カ月が経つ。18年間航空会社に勤務、出版業界にひそかに憧れながらも、まさか実現するとは思ってもいなかった。ひょんなことからライティングを学び、インタビュー記事の書き方を学んだ時、これを仕事にしたいと思った。人は人でしか心揺さぶられない、ぶん殴りたいほどの怒りが込み上げたり、心震えるほど感動するのは「人」に対してだけだ。コトバで、文章で、多くの人に「心の揺れ」を提供したい、そう思った。
インタビューは事前準備が命だと学んだ。作家先生の著書を読み、SNSをチェックし、関連サイトをチェックする。質問項目を考え、質問前に雑談しようか、いやまずは自己紹介だ、新人ということは最初に伝えようかなど思いを巡らす。気づくと飛ぶように時が過ぎ、ああマズイと慌てる。

作家先生とのインタビューはZOOMで行う。いざインタビューが始まると、シナリオ通りに進めることに必死で録画のタイミングを失い、質問の途中であわてて録画ボタンを押したり、自己紹介を忘れて作家先生から「長島さんはこの仕事をしてどれくらいなのですか」と質問されたり散々である。
ZOOMでの会話は対面以上に「間」が気がかりだ。作家先生が質問に答えあいづちを打ち、その後の妙な間にドギマギする。すると次の質問もぎこちなくなり、相手が答えづらそうな空気が漂う。ZOOMでは自身の表情も画面に映るので、あいづちを打つ顔の間抜けさに先生の言葉が耳に入らないこともあった。
なんとかインタビューが終わると、苦行の音声起こしが待っている。質問の不明瞭さや語尾の曖昧さにおのれのダメ出しの矢が刺さる。執筆に取りかかる前は氏神様にごあいさつ、神頼みの仕事ではないか。
「四十にして惑わず」という言葉があるが、とんでもない惑いっぷりだ。人生100年時代といわれる昨今、孔子の時代とは様子が違うかもしれないが、人は終わりが先であればあるほど定まらないものなのかもしれない。
そんなこんなで惑いまくりながら文章を書いていたが、ある時ふと思った。自分の至らなさばかりに目を向けていては、相手の魅力を引き出すことなど到底できないと。それから、インタビュー中は相手の話に集中し、その後音声を聞き直す時にうまくできたこと、できないことをメモするようにした。
質問は相手が答えるべき内容がパッとわかる言葉を選択する、とっさの言い回しフレーズを用意しておく。たとえば時間が迫ってきたら「楽しいお話でついたくさん伺ってしまいました」や、踏み込んで聞きたいときは「興味深いですね、具体的に伺ってもよろしいですか」など、相手に配慮した言葉がけはCA時代に学んだ。そうこうしているうちに、少しづつ自分の心を脇に置き、相手の話に集中できるようになってきたようだ。
インタビューでは相手が言わないでおこうとしたことも聞き出せることが良いとされているようだが、私は相手が「そこまでとは気づいていなかった」こと、潜在意識に眠っていたことをやわらかく掘り起こしてコトバにし、「こういうことですね」と提供できるような、そんなインタビュアーになりたいと思う。
そして、読者の心になにかしらの「揺れ」を起こす文章を書きたい。「引っ掻き傷」とでも言おうか。サラサラと心地よい文章では流れていってしまう。ザラついた違和感も与え、読んだ人が人生に迷った時「そういえばあの人があんなことを言っていたな」と生きるヒントになるような、そんな文章が書きたい。そのために必要なのが、冒頭で触れた「エモさ」なのだとしみじみ思う。
現役凄腕編集者がそろうデジデン編集部にて、これからも惑いまくりながら新米ライターとして奮闘していく。何歳になっても新人として新しいことにチャレンジでき、教えてもらう場を与えられることは、なんと有難いことであろう。
「四十にして惑いまくる」うん、これも悪くない。
今後はデジデン内部だけではなく、外の世界にもインタビュアーとして活動の枠を広げていくつもりだ。いつの日か、「エモいタイトル」がコンコンと湧き出る泉のようなライターになっていたい。あなたのところにインタビューに伺うかもしれない。その時は、あなたの心をやわらかく耕せたらよいなと思う。
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