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コロナ禍で加速した拠点を変える生活が、一生モノの視点や業績を生み出すことも!?芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチと映画監督クリストファー・ノーランの意外な共通点 前編〜

[ 天才ダ・ヴィンチに学ぶ人生の極意 ]

ダ・ヴィンチ研究家の桜川Daヴィんちです。前回の記事では、『天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント』(アルバトロス・フィルム)というドキュメンタリー映画の内容を通して、“天才の正体”について迫りました。

今回は、芸術家と映画監督という2人の人物に共通するモノの見方を知り、人生を豊かにする知恵を学んでいきます。

ダ・ヴィンチは今生きていたら何をしている?

私が主催する「ダ・ヴィンチ勉強会」というものがあるのですが、そこに参加された方から、時々こういう質問を頂きました。

「ダ・ヴィンチがもし今生きていたら、何をしていると思いますか?」

コロナ禍が長期化する現代社会において、待望されているのはワクチンの普及。ルネサンス時代の500年前も、ペストが流行し、多くの人が命を落としていました。その事態を心配して思案したダ・ヴィンチは、風通しの良い衛生的な街づくりを構想したり、薬草を調合して病気への対策をしたりしていました。ダ・ヴィンチがもし生きていたら、ワクチン開発に乗り出していたかもしれません。

あるいは、ダ・ヴィンチは水をワインに変える手品を披露していたので、天才マジシャンになっている可能性があります。500年前の時代にありながら、ロボット、も開発していたので、AI研究者として活躍しているかもしれません。果たして、ダ・ヴィンチが現代で一番やりたい仕事は何なのでしょうか。

万能の天才と言われるダ・ヴィンチですが、生涯を通じてもっとも注力したのは、彼が“視覚言語”と呼んだ絵画でした。世界一有名といっても過言ではない絵画『モナ・リザ』は、死ぬまで手を入れ続けた傑作と言われますが、ダ・ヴィンチにとって絵画は“最高の芸術”の証。でもそれも、カメラやテレビ、インターネットがなかった時代の話です。

今日、ダ・ヴィンチが生きていたら、きっと動く視覚表現である“映画”に興味を持ち、映画監督になっている気がします。そこで今回は、奇才の映画監督として有名なクリストファー・ノーランとの共通点を探っていきます。

クリストファー・ノーランの偉大さは、多面性にもある

クリストファー・ノーラン監督をご存知でしょうか? 最近の作品ではSF映画の『TENET テネット』が話題となりましたが、他にも、広大な宇宙を舞台にした『インターステラー』や人間の潜在意識をテーマとした『インセプション』、全米興行収入歴代2位を記録した『ダークナイト』のバッドマンシリーズも有名です。そんなヒット作を連発する監督の映画術がついに出版されました。

『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』 (玄光社)という本です。

この本は、【構造】【方向性】【時間】【知覚】【空間】【幻影】【混とん】【夢】【革命】【感情】【生還】【知】【結末】という13章で構成されていて、ノーランの映画に対する考え方が多面的に記された内容になっています。

ノーラン作品は難解なものも多くありますが、どんなことを考えながら映画作りをしているのか、その一端を知ることができます。そして、芸術家で万能の天才であるダ・ヴィンチと類似する要素も多く見受けられるのです。

異文化の掛け合わせが、とてつもない作品を生み出した

それでは、早速本題に入っていきましょう。まず最初の共通点は、多文化の影響です。

ノーランは二重国籍で、イギリスのロンドンと、アメリカのシカゴで育っています。イギリス人の父親は広告業界で働き、アメリカ人の母親は客室乗務員でのちに教師をしています。前回の記事でも、「異なる2つを組み合わせた経験を持つ若者は、創造的な大人に成長する」という創造性の源泉について紹介しましたが、ノーランは次のように言っています。

「僕は二つの文化の産物で、二つの場所で育ったようなもの。だから故郷という概念が、人とは少し違っていると思う。問題は単純に地理的なものだけじゃないんだ」

「どこか別の場所を訪れ、心身共に充電されていくのを感じると楽しくなる。これは、僕が成長する過程で身につけた『切り替え』だ。昔からいろんな場所を行き来するのが好きだった。スイッチを切り替えるようにある文化から別の文化へと切り替える、その変化を楽しんできたんだ。僕の活力の源だね

※出典:『ノーラン・ヴァリエーションズ クリストファー・ノーランの映画術』 (玄光社)

ダ・ヴィンチはイタリアの田舎・ヴィンチ村に生を受け、その後は芸術修行のために都会のフィレンツェに移住しています。

花の都フィレンツェには、綺羅星(きらぼし)のごとく才能に恵まれた芸術家たちがひしめき合っていましたが、たとえば『ヴィーナスの誕生』で有名なサンドロ・ボッティチェリは、ダ・ヴィンチよりも7歳年上の先輩でした。ボッティチェリは優美な作風で早くから頭角を表し、その才能を認められますが、生涯フィレンツェにとどまり続けました。

一方でダ・ヴィンチは、ヴィンチ村からフィレンツェ、そしてミラノに出てはまたフィレンツェに戻ったり、ローマやヴェネツィアにも行きます。最終的にはフランス王に招かれて、フランスにある片田舎アンボワーズで生涯を終えました。

当時はイタリア内部も、フィレンツェ共和国、ミラノ公国と風土の異なる領土でしたので、イタリア国内での移動とはいっても、違う国に行くような感じでもあったのです。

このように、移動して異なる文化圏で生活をする経験は、その越境者に新たな視点をもたらし、それが知らず知らずのうちに作品にも影響を与えているのです。

日本国内でも、多面的な視点を養うことは十分にできる!

今日でも、たとえば、俳優の松山ケンイチさん・小雪さん夫妻は、松山さんの実家がある青森と、仕事の拠点である東京での二重生活を送っています。青森では畑を耕し、自家菜園で自給自足の生活を楽しんでいるそうです。

そのような二重生活は、3人いる子供たちの視野を広げ、多面的な見方を学ぶ教育的な役割も一役買っているでしょう。コロナ禍で地方へ移住する人も増えていると聞きますが、生活スタイルを変えてみると、今まで見えなかったブラインドスポットが見えてきて、これまで見落としてきた何か大切なことに気がつくはずです。

次回もダ・ヴィンチとノーランの共通点についてご紹介いたしますが、さらに一歩踏み込みますので、お楽しみに!

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