
レオナルド・ダ・ヴィンチの7種類の先生【自分編】
[ 天才ダ・ヴィンチに学ぶ人生の極意 ]
自分を先生にするとは?
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチには、7種類の先生がいた!? 時代背景や彼の思考を読み解きながら、ダ・ヴィンチ研究者の視点で読みときます。私がまとめた7種類の先生は、
- 自由人
- 名人
- ロールモデル
- 専門家
- 自分
- 聾唖者
- 自然
の7つです。これまで連載シリーズで投稿してきました。
- 自由人
- 名人
- ロールモデル
- 専門家
については、すでにダ・ヴィンチが実際に大きな影響を受けた先生たちであることを、具体的な人物名をあげながらご紹介してきました。
過去の記事にご興味のある方は、こちらからお読みください。
自由人:
https://digi-den.net/sakuragawa-davinci/category-psychology/2022/04/25/9499/
名人:
https://digi-den.net/sakuragawa-davinci/category-psychology/2022/05/02/9818/
ロールモデル:
https://digi-den.net/sakuragawa-davinci/category-psychology/2022/05/09/9802/
専門家:
https://digi-den.net/sakuragawa-davinci/category-psychology/2022/05/23/10082/
今回の記事は、5番目の「自分」についてです。
「ダ・ヴィンチは自分を先生としていた」とは、一体どのようなことを意味するのでしょうか。

経験の弟子ダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチのノートにある印象的なフレーズを引用します。
「経験の弟子、レオナルド・ダ・ヴィンチ」
自分の経験こそが先生である、そう宣言した言葉です。
なぜこんなことを言ったのかというと、ルネサンス期にメディチ家が主催していた「プラトン・アカデミー」に関係しています。
ルネサンスは「文芸復興」と訳されますが、古代、とりわけギリシャ思想の見直しが推進されていました。
フィレンツェで権力を握っていたメディチ家のコジモ・デ・メディチは、プラトンの思想に傾倒し、人文主義者を集めて知的な討論を行い、「プラトン・アカデミー」という私的なサークルを形成します。
様々な知識人たちが集まる一方、ダ・ヴィンチには一度もお呼びがかかりませんでした。それは、十分な教育を受けていなかったため学問がなく、また、当時の知識人たちの間で用いられていたラテン語ができなかったことに起因しています。
同時代の画家、サンドロ・ボッティチェリはプラトン・アカデミーを通してメディチ家のお抱え絵師となり、プラトン思想を反映した絵画を制作しています。
貝殻の上に乗った女神、あの有名な『ヴィーナスの誕生』もその一枚です。

まず自分でやってみる
プラトン・アカデミーから仲間外れとなり、疎外感を感じたダ・ヴィンチは、アトランティコ手稿というノートの中で、以下のように反論をしています。
「私は学者ではないから、思い上がった人たちが、私を学問のない人間と言い立てて、けなすことを当然と思っていることをよく承知している。愚かなやつらだ!
・・・彼らは、私には学問がないから、扱おうとする事柄をうまく説明できないと言うだろう。しかし、彼らは私の論文が他人の言葉によるよりも、ほとんど私自身の経験によるものだということを知らないのだ。経験こそ立派な著述者たちの師であった。だから私もこの師をいつでも引き合いに出すつもりだ。
・・・私は、彼らのように他の著述家たちを引用することはできないが、それよりももっと優れて価値のあるもの、つまり、彼らの師の師である経験に依拠することにしよう。彼らはうぬぼれくさって、これ見よがしに、自分の苦労ではなく、他人の苦労の成果で着飾り、私が自ら得た苦労の成果を認めようとしない。
発明者である私を軽蔑するなら、発明者ではなく、他人の作品を触れ回り、暗唱して回る彼らこそ、はるかに非難されてしかるべきではないか」
また、ダ・ヴィンチはこのようにも言っています。
「権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ」
“まず自分でやってみる、果敢に挑戦する、そこで得た経験を糧とする”これがダ・ヴィンチの強い信念でした。学がない自分に光を当てるには、自らの経験に頼るしかなかったのです。

経験と学びの両立
ダ・ヴィンチは、後に自分のコンプレックスに挑戦するかのように、ラテン語の習得に努めたり、学者並みに様々な本を読んで一生懸命勉強もしています。
知識を得るのがムダであれば、他人が書いた本を読んだりしないはずです。
ダ・ヴィンチが言いたかったことは、学問を学ぶことが無意味ということではなく、自分が経験もせずに知識をひけらかすことは単なる自己満足に過ぎないということです。
たとえば自己啓発本を読んだ時、読んだこと自体に満足してしまって、行動に移せていない場合があります。本に書いてあることを、必ずしもすべて実行する必要はありませんし、また自分には合わないこともあるでしょう。
しかし、何かためになると思ったことを1つでも実行できれば、その本を読んだ甲斐があります。実行することで、成功や失敗の経験が自身に積み重なっていきます。ダ・ヴィンチを見習って、ぜひ学びを経験に変えていきましょう。
経験を生かすツール
ダ・ヴィンチは経験したことを手帳にメモすることを習慣にしていました。万能の天才といえど、すべてを覚えておくことはできず、保存し見返すことで経験を確かなものにしていました。経験がおさまった手帳は、自分にとって大事な先生となります。アシュバーナム手稿というノートには、ダ・ヴィンチが画家を目指す人に向けて書いた、人物をスケッチするためのアドバイスがあります。
「君がいつでも携えておくべき小さな手帳にそれらを簡略に描きとめておくこと。その手帳は着色した紙のものがよい。それらは、その上に描いたものが擦れて消えたりせず、また描きこみで一杯になったら、新しい紙に取り替えられるものがよい。
これらの覚え描きは消したりせず、大切にとっておくべきものだからである。というのも人物の形態や動作は無限であって、すべて記憶しておくことはできないのだから、こうした覚え描きを君の手本なり師匠として大切に保存しておくとよい」
自分が書き残したメモは自分の師匠。画家のみならず、どんな人でもメモをすることで、未来を築く行動の指針とすることができます。
お気に入りの手帳やメモ帳を常日頃携帯するか、持ち歩くのが不便であればスマートフォンのメモ帳に記録するのも有効な方法だと思います。私も、何かを思いついては、スマホを開きメモをすることを習慣にしています。メモしたことは、きっといつか役にたつ時がくるでしょう。

『超訳ダ・ヴィンチ・ノート』(飛鳥新社)を出版し、
発売2週間で重版。翌年の2020年には、韓国語版も出版される。桜川Daヴィンチさんの紹介ページは→こちら
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