
『モナ・リザ』に学ぶ世界一の引き寄せの法則【人物編①】
[ 天才ダ・ヴィンチに学ぶ人生の極意 ]
『モナ・リザ』は誰を描いたのか?
『モナ・リザ』は、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた作品です。当時の人の証言で、1503年頃には制作に着手していることがわかっています。
ダ・ヴィンチは、1519年にフランスのアンボワーズで没していますが、最後まで加筆修正をしていたとも言われているので、その場合は10年以上の歳月をこの絵に費やしていたことになります。
ところで、そもそも『モナ・リザ』は、一体誰を描いたのでしょうか?
諸説ありますが、以下の根拠のある記録が通説となっています。
ドイツのハイデルベルグ大学図書館の蔵書の余白に、画家レオナルド・ダ・ヴィンチが絵を描いており、その一枚がリザ・デル・ジョコンドであるという書き込みがあります。この本の所有者は、アゴスティーノ・ヴェスプッチという人物で、「アメリカ」の由来となったアメリゴ・ヴェスプッチのいとこであり、フィレンツェの役人としてダ・ヴィンチとも交流がありました。リザ・デル・ジョコンドは、繊維業を営むフランチェスコ・デル・ジョコンドに嫁いでおり、5人の子供を持つ裕福な母親であることがわかっています。
そのため、英語名では『モナ・リザ』、イタリア語で『ラ・ジョコンダ』、フランス語で『ラ・ジョコンド』と言われています。『モナ・リザ』のモナ(Mona)は、マドンナ(Madonna)の短縮系で、「婦人」を意味します。現在も「多くの男性の憧れの対象となる女性」という意味で、マドンナという言葉が使われていますが、『モナ・リザ』を直訳すると「リザ婦人」という意味になります。
このハイデルベルグ大学図書館の蔵書によって、『モナ・リザ』の正体に一件落着と言いたいところですが、実はそう単純ではない事情があります。さらに考察していきましょう。

なぜダ・ヴィンチは死ぬまで『モナ・リザ』を持っていたのか?という謎
今から500年前のルネサンス時代、絵の依頼は、主に教会から宗教画を画家に依頼するパターンと、ある程度裕福な人が結婚や何かの記念を祝して肖像画を依頼するパターンがありました。
『モナ・リザ』の場合は、後者ですが、依頼主であると思われる夫のアゴスティーノ・ヴェスプッチの元に絵が納品された形跡がありません。
なぜダ・ヴィンチは『モナ・リザ』を終生持ち続けていたのか。あるいは、実際は別の『モナ・リザ』が納品されており、現在ルーヴル美術館にある『モナ・リザ』は、依頼された肖像画とは異なるのか、など議論がつきません。
さらに、驚くべき研究報告があります。
フランス人研究者のパスカル・コットは、多重スペクトルカメラで絵の表面に強い光を当てて反射を測定する光学研究を行い、『モナ・リザ』の表面の下の層に別の女性が描かれていることを発見しました。
もしかすると、最初は依頼通りにリザ・デル・ジョコンドを描いていたものの、何かの事情で絵を納品する必要がなくなり、ダ・ヴィンチが別の意図を元に絵を描き続けていたのかもしれません。
研究者の間では、『モナ・リザ』は1人のフィレンツェ女性という枠を超えて、ダ・ヴィンチが理想とする女性像を描いたのではないかと推測されています。
いずれにせよ、『モナ・リザ』には謎がつきまとっており、この“ミステリアス性”こそが、大衆を惹きつける大きな要因の1つになっていることは間違いありません。

スペインにある『モナ・リザ』
ルーヴル美術館にある『モナ・リザ』の他にも、いくつか『モナ・リザ』は存在します。
1枚は、通称“プラドのモナ・リザ”といわれるプラド美術館が所蔵する作品です。

プラド美術館は、この『モナ・リザ』の模写作品が、ルーヴル美術館にある『モナ・リザ』の最も初期の模写であり、師匠であるダ・ヴィンチから指導を受けながら弟子が制作した可能性を指摘しています。
有力視されている弟子は、フランチェスコ・メルツィという貴族出身の男性で、ダ・ヴィンチから手稿などの重要な遺産を引き継いだ人物です。
メルツィは、ダ・ヴィンチが書き残したノートから絵画に関する内容を抜粋し、『絵画の書』を編纂したことでも知られています。実際に、ダ・ヴィンチが描いたスケッチをいくつも繊細なタッチで模写していることから、作者であると推定されています。空気遠近法、色彩遠近法が用いられており、師匠から十分に学び取った作品といえるでしょう。

スイス銀行の金庫に保管されていた『モナ・リザ』
もう1枚、よく知られている『モナ・リザ』があります。
その名も、“アイルワースのモナ・リザ”。
絵の所有者が、ロンドンのアイルワースにあるアトリエに運び込んだことにちなんで、このように呼ばれています。
個人コレクターが所有した後、スイスの銀行の金庫に保管を経て、2008年に匿名の国際財団が購入しています。
モナリザ財団に鑑定を依頼したところ、こちらは模写ではなく、ダ・ヴィンチの真筆であると結論づけました。

しかし、研究者の間では、ルーヴル美術館にある『モナ・リザ』に比べて、全体的に表現力が乏しく、背景も簡略化されているため、ダ・ヴィンチ作とは認め難いという声もあります。ちなみに私も同様の理由で模写であると考えています。
果たしてダ・ヴィンチの真筆なのか、あるいは模写なのか、未だに謎に包まれていますが、詳細を事細かに明らかにするのではなく、相手に考えさせるような余地を残しておくことも必要なことなのかも知れません。
ぜひ、何かを広く人に伝える際の参考にして頂ければと思います。
次回は、今回の続きでダ・ヴィンチは何を考えて『モナ・リザ』を描いたのか、ダ・ヴィンチ思考と照らし合わせて解説していきます。お楽しみに!

『超訳ダ・ヴィンチ・ノート』(飛鳥新社)を出版し、
発売2週間で重版。翌年の2020年には、韓国語版も出版される。桜川Daヴィンチさんの紹介ページは→こちら
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