
まず乗ってみる、それが旅の始まり
[ WEB車掌SEKIDAIの「新たな世界に駆け込み乗車」 ~乗って気付いた異次元な世界!~ ]
~ Good morning, and welcome on board the Ueno-Tokyo-Line. ~ ~ This is Daichi Seki, your conductor speaking. ~
こんにちは!
英語車掌SEKIDAIこと、関大地です!
いきなりですが、日頃、活動をしていると「なんでJR東日本を辞めちゃったの?もったいない!」というお言葉を様々な方からいただきます。普通に考えたらその通りですよね。
最近は高学歴化が進んで入社が難しくなっていますし、僕がJR東日本に入社した2002年当時でも、採用の倍率は40~60倍と言われていました。仮に50倍としても、50人いる試験会場の中で採用されるのはわずか1人で、そう簡単には入社できなかったわけです。これは確かに「もったいない!」と言われてもおかしくはないかもしれません。
しかし、生きることには様々な変化が伴います。昨日まで新しかったものが、今日には古くなっていく。物凄いスピードで時間が流れていきます。17年間を勤めたJR東日本を退職した後、作家やYouTuber、群馬県中之条町の「花と湯の町なかのじょうPR大使」などの活動を続けていますが、思い返せば本当に大きく環境が変わっていますね。
振り返って2016年当時。僕が車掌を務めた運行では「あれ?最近は車掌さんが英語アナウンスするようになったの?」と驚いた方も多いかと思います。実は僕も、自分が電車内で英語アナウンスをするという想定はありませんでした。僕が英語アナウンスを始めた頃は、そのような車掌は周囲にいませんでしたから(笑)。
本当に珍しかったということもあって、当時ネット上では「英語車掌だ!」と話題となり、やがて国内外のメディアに取り上げていただくようになりました。どなたかがつけてくださった、この「英語車掌」というニックネームを僕はとても気に入っていて、今現在も感謝の気持ちをこめて使わせていただいております。

「英語車掌 関大地」がJR東日本を退職した理由
では、なぜ僕が誰もに「もったいない」と言われるJR東日本を退職したのか?
それは【長沢さんとの約束を果たすため】なんです。
長沢さんは、僕が入社した2002年当時、55歳のベテラン車掌で憧れの存在でした。
幼いころからお世話になっていて、僕が鉄道員になろうと決めたのは100%、長沢さんの影響です。
なにしろとても責任感が強く、子どもだった僕たちが旅行に行くとなった時には、わざわざ休みをとって添乗員のような役割までしてくれたのです。子どもは目についたものは何でも「あれ、何?これ、何?」と質問しますが、嫌な顔ひとつせず、何でも教えてくれたことを覚えています。
そんな長沢さんが「大地がJRに入ったら、俺が車掌の先生になってやるから、たくさん勉強しろ!」と背中を押してくださり、僕はJR東日本を目指すことにしました。
JR東日本の入社試験に合格!しかし、車掌の道は険しい・・・
念願のJR東日本に入社した僕は、2002年に憧れの制服に袖を通しました。そう、皆さんがご存じのあの制服・・・ではなく、保線社員の制服です。高校時代土木を専攻していたため、設備メンテナンスの部門に配属されたのです……。
同級生も国土交通省(当時:建設省)やNEXCO(当時:道路公団)などの整備局に進みましたし、僕の配属も線路設備の安全を最前線で保守することを期待されたものでした。
しかし……。当時、保線から車掌になる道はほとんどなかったのです。誰よりも悲しんでくれたのは長沢さんでした。
当時60歳の誕生月で定年退職を迎えるJR東日本で、長沢さんに車掌の教導(先生)になってもらうためには4回のチャンスしかありません。車掌試験は1年に1回しかないからです。
不出来な僕は、毎年、不合格通知を手渡され、やっと車掌試験に合格できた時には5年目になっていました。ここでお気づきの方もいらっしゃるでしょう。皮肉なことに、僕は、長沢さんが退職された年に合格通知を受け取ったのでした……。
念願の車掌になってからは「運転士にならないか?」と、毎年、声を掛けられて、11年間、断り続けてきました。カッコいい長沢主任車掌に憧れ、やっと手に入れた車掌という職名です。絶対に手放したくなかったのです。
いつも乗客のことを考え、不安そうな方がいたら話しかけて、その不安を取り除いてくれる。そんなカッコいい長沢主任車掌の姿を追いかけていたから・・・。
僕は、長沢さんと同じように、いつも乗客のことを第一に考える、立派な車掌でありたいと思いながら毎日を送っていました。英語車掌と呼ばれるようになったのも、外国人の乗客が困っているのを放っておけなかったからです。
時は流れ、僕が車掌になってから10年が過ぎたとき、長沢さんは天国行きの列車に乗って旅立ってしまいました。時間は平等にJR東日本をも変えていきます。遠からず車掌の配属規定が変わり、車掌以外の役務に配置換えになるだろうと感じていた僕は、車掌のままJR東日本を退職する道を選びました。
「長沢さん、僕が退職したこと、どう思っていますか?
もっと車掌を続けてほしかったですか?」
ふとした時に、そんな風に問いかけてみたくなります。
「もしそうなら安心してください。僕は何歳になっても車掌で居続けるために「英語車掌」としての活動を始めたのです。この仕事に定年退職はありません。ずっと車掌ですよ」
きっと懐かしい笑顔でうなずいてくれるはずです。
僕は、JRの車掌を卒業し、英語車掌として、全国の車掌を夢見る鉄道ファンや子どもたち、鉄道会社のために活動することにしました。
これからも、たくさんの方を笑顔にする活動をしていきます。あの頃の長沢さんのように。
「気を付け、敬礼!」

「気を付け、敬礼!」
何か新しいことにチャレンジしようとすれば、何かの壁が立ちはだかる。それを壊していくから人生は面白いと感じています。そしてこの春、僕の新しいチャレンジが始まります。
そうです。【WEB車掌・SEKIDAI】 の誕生です!
関大地、なんと、作家ポータル・サイト「デジタルデン」のメイン・コンダクターに任命していただきました! 現在は個々でも情報発信が容易にできる時代ですから、ここでも僕らしい発信ができたらいいな、と考えています。
デジタルデンでの活動は、全く知らない世界、わからないことばかりですが、WEB車掌は走り出します。きっと大失敗をやらかします(笑)。楽しみで仕方ありません。
もちろん僕は、転んでも必ず立ち上がってチャレンジを続けます。スーパー・ポジティブ人間ですからね。
次の原稿からは【僕基準で初めて知ったこと】などをどんどんシェアしていきます。
そして、僕がJR東日本を退職してから様々な壁にぶち当たり、どのように乗り越えて成長していくのかを、自分自身楽しみながら書いていきたいと思います。
これからも僕の挑戦を一緒に楽しんでもらえると嬉しいです!
今後ともよろしくお願いいたします♪

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