
これまでの人生を振り返って
[ WEB車掌SEKIDAIの「新たな世界に駆け込み乗車」 ~乗って気付いた異次元な世界!~ ]
スタート時点から他の鉄道員とは異なっていた
「英語車掌」この4文字はいつの間にか僕の代名詞になりました。しかし、今思えばJR東日本に入社し保線部門に配属が決まった当初から、その運命は決まっていたのではないかと感じます。
僕は2002年に保線係員として鉄道員デビューしました。この年は東日本全体で1400人ほどの同期入社の社員がいましたが、そのうち、保線係員は僕の所属していた支社で2人だけ。東日本全体をみても20人程度でした。
入社するとまず同じ分野の人たちで基礎知識を叩きこみます。保線係員だけだと20人程度のため、券売機や改札機、エレベーターやエスカレーターなどの機械関係、橋梁やトンネルなどの土木関係、駅舎や建造物などの建築関係の社員と同じ「施設系社員」で1クラスになって基礎知識を学びました。
入社式の時はおなじみの駅員の制服を着ましたが、保線となると基本ヘルメットと安全チョッキを付けた現場で作業がしやすい別の制服が貸与され、駅員の制服はもう着ることはありませんでした。
研修で頭に叩き込む知識はレールやマクラギなどの線路設備のことばかりで、切符や駅名のことは一切触れることはなし。よく“その道のスペシャリスト”と呼ばれることがあると思いますが、その字のごとく線路メンテナンスのスペシャリストになるための教育がなされていったのです。
僕は、この時点で他の人と同じことをしていても車掌にはなれないと悟ったのでした。

入社してからが本当の試練だった
JR東日本は入社試験の倍率が高く、入ること自体が難しい。そのため、入社したら自分の分野の知識を必死に叩き込む。それだけで頭がパンクしそうです。
ただ、僕の場合は違います。叩き込む内容が単純に2倍なのです。もちろん今配属されている保線の業務と車掌になるための業務知識。保線社員なのにも関わらず駅員用のテキストも購入し並行して知識を叩き込んでいきました。
周囲からは、「一度配属されたら異動は不可能だ」「保線で一生頑張っていこう」と声があがっていました。それは当時の車掌をみても保線出身の人は皆無に等しかったからです。国鉄時代に採用された人で何人かはいましたが、JRになってからはほとんど聞かなかったのです。
それもそのはず。自分が経営者の立場になれば、その道に配属されて時間と教育費用を掛けて一人前に仕上げた社員が転職したら、これまでの歳月は無駄になると考えます。その現実を周りの人も感じていたのでしょう。
しかし、僕は簡単に手に入るものを目指しても燃えません。不可能だと言われていることを可能にしたときに賞賛の声があがる。そうなったらいいなと感じていました。僕のモチベーションを保つものはその反骨精神だけだったのです。
そして、4年の歳月が過ぎ、5回目の車掌試験の結果が言い渡されました。やっと車掌試験に合格することができたのです。

今までになかったものを生み出すことに生きがいを感じた
車掌になってからは、日々乗客の気持ちを考えながら、自分にできる最高のサービスを心がけるようになりました。もちろん、後に英語アナウンスを導入したのも同じ理由です。外国人に安心して日本を楽しんでもらいたかったからです。
結果的には車掌として11年半のキャリアを積みました。それからは、全国の車掌を目指す若者のために行動していきたいと感じ、彼らに夢と希望を与えられるようなことをしていきたいと強く思い、JR東日本を退職しました。
退職後は出版やこのデジタルデンの記事をはじめ、様々なメディアを活用したくさんの人の笑顔をつくれるように活動しようと心掛けてきました。鉄道員を経験した僕にしか書けないことや、物事の見方などをこれまで書いてきたつもりです。
鉄道員という仕事は子どもの頃から憧れる職業の一つです。僕が鉄道員を目指す人の道標になれれば嬉しいと思って活動してきましたし、今後もそうでありたいと思っています。
このような記事を書く場所があったからこそ自分自身が一回りも二回りも大きくなれました。本当に感謝しています。
これからは、鉄道の分野だけでなく、視野を広げ、映画や動画など映像の分野でも活動できたらと思い日々進んでいます。

最後に・・・
ここまで、僕の記事を読んでくださりありがとうございました。これまで鉄道に関する記事を書いてきましたが、これから先、映画出演やプロデューサーとしての活動、映像分野での活動をメインにやっていこうと思っています。
僕がJR東日本を退職するときに掲げていた目標が2つあります。1つは出版して作家になること。もう一つは映画をつくることです。
おかげさまで、出版はこれまでに3冊、そして、2023年公開の映画『散歩屋ケンちゃん』のプロデューサー兼メインキャスト、並びに挿入歌を担当させていただくことになりました。
この最高の機会に恵まれたことに感謝し、しっかりと勉強させていただきます。そして、いずれ自分が映画監督の立場となり、たくさんの人に喜んでもらえる作品づくりをしていきたいと思います。
今後は「英語車掌SEKIDAI」ではなく、「SEKIDAI」として、新たなスタートを切ることになります。そこで長らくお世話になったデジタルデンの鉄道関係の記事も今回でいったん区切りをつけようと思います。
これまで“元鉄道員”という目線で記事を書いてきましたが、これから新たなチャレンジをしていかなくては過去の人のままです。これからも成長し続けます。
僕の職業は変わりましたが、心は1ミリも変わっていません。車掌試験や英語アナウンスにチャレンジしてきたように、これからも新しいことにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。
今まで、英語車掌としての僕を応援していただき、本当にありがとうございました。今後は、さらに活動の場を広げてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

「2007年にJR東日本の車掌となる。車掌による英語での車内アナウンスがなかった当時、独学で英語を学び、車内英語アナウンスを決行。すぐに動画サイトやSNS上で話題になり「英語車掌」と呼ばれるようになる。2019年に退社し、鉄道、英語にかかわる事業を立ち上げ活動中。
関大地さんの紹介ページは→こちら
SEKIDAIさんを知ってから、毎週楽しみにしていました。
終わってしまうのはとても残念だし寂しいですが、SEKIDAIさんが飛躍していく姿を見届けられるのを嬉しく思います。
努力家なSEKIDAIさん、どんな困難にも立ち向かって進んで行ってください!
応援してます!
これからも新たなチャレンジ、ご活躍を楽しみにしています。ずっと応援していきます。
とうとうこの日がやってきてしまった、、、
移動手段としての認識しかなかった鉄道。
英語車掌SEKIDAIさんの記事を読んだり、話を聞くことで、身近なものになり、多少の知識も得ることができました。
これからの新しい世界の記事、楽しみにしています。
SEKIDAIさん、Fight❗️٩( ᐛ )و
あたらしい世界へ羽ばたくSEKIDAIさんに、エール*\(^o^)/*