叱られることでしかつかない自信とは? ~雷を落とされた私の大失態を教訓として

[ 今度こそうまくいく!自信を無理なくつける方法 ]

私には忘れられない3つのすごく叱られた経験があります。

「トウモロコシ畑事件」に「女子トイレ事件」に「測量ミス事件」…

一つ目の経験は、私が幼稚園ぐらいのときに父に叱られたこと。私は、近くの畑のトウモロコシの芽を全部抜いてしまいました。父は、私を逆さ吊りして誰の目を憚(はばか)ることなく、お尻をパンパンと何度も何度も叩いて私を叱りました。父も情けないと思っていたのだと思います。何を言われたかは忘れてしまいましたが、いけないことをしてしまったんだなと幼い私にも伝わってきました。

それから、父は私を畑の持ち主のところへ連れて行き、何度も頭を下げて謝ってくれました。当時は何がなんだか分からなかったかもしれません。でも、父に叱られたこと、何度も頭を下げてくれたことを今でも忘れることはありません。

二つ目の経験は、私が小学校6年生のときのこと。7月21日に配信された私の記事『「ゆうじのピンクはいいね!」 ~心の扉をノックしてくれた、たった一言』で紹介した恩師の川添先生に叱られたことです。

いたずら坊主癖の抜けない私が、女子トイレに入ったり校庭の植木を壊したりしたとき、「ゆうじ、お前は何をやっているかわかっているのか!」と川添先生に何度もビンタのお叱りを受けました。「お前はそんな人間じゃないはずだ!」と、全身全霊で叱ってくれました。

三つ目の経験は、私が20代後半で現場監督をしているときの出来事です。上司から「吉田は、そんな人間ではないはずだ!」と叱られました。建設現場で測量ミスをして、地盤の高さを10センチ間違えたのです。それなのに当時の私は上司に「協力業者のミスです」と人のせいにして報告したのです。

このとき上司から「それを監督するのが現場監督だろう!」と、ものすごい剣幕で叱られました。そのとき厳しく叱られたので、私のやったことは、人としてやるべきことではないと素直に受け止めることができました。

この3人に叱られた経験が、今の私の人としてのあり方の基礎をつくってくれたと思っています。とはいえ当時は、人としてのあり方なんて分かっていなかったと思います。でも、あのとき叱ってくれたことが、人としてやってはいけないことを教えてくれました。

さらには、私の中に自信を育んでくれたことは間違いありません。父、恩師、上司に心から感謝しています。

ここで、「叱られると、なんで自信がつくの?」と思われたかもしれません。以下でそのあたりをちゃんと解説しますので、引き続きお付き合いくだされば嬉しいです。

「叱る」とは、「過ちを犯して嫌いになった自分」を、再び「好きな自分」に戻してあげる行為

自信とは、自分で自分を認めることができ、自分を好きになれることだと私は考えています。罪を犯したり、人に迷惑をかけたり、人のせいにして責任逃れしたりしている自分を好きになれるでしょうか。

ただ、人は弱い生き物です。知らなかったり、誘惑に負けてしまったりして、法に触れる犯罪まではいかないとしてもいけないことをしてしまうこともあります。他の人に迷惑を掛けてしまうこともあります。そのとき、誰かが叱って、気がつかせてあげないとそのままになってしまいます。

一度やってしまうと、あと1回、あと1回と歯止めが掛からなくなり、やがては習慣化して何度も同じ行為を繰り返してしまいます。

こうして本人も気がつかないうちに、後戻りできない状態になってしまうのです。最初は「いけないことだよな」と思っていたことですら、その「いけない」ということすらわからなくなってしまうこともあります。だから、気がついた誰かが止めないといけません。それは親や上司の大事な役目です。それも小さな芽のうちに摘んであげなくてはなりません。

今回の自信をつけるシリーズで、お子さんや部下に自信をつけるために、

「できないところを『不足』ではなく『伸びしろ』と捉えましょう」
「できないところを『減点』するのではなく、できているところを『加点』していきましょう」
などをお伝えしてきました。これはこれでとても重要なことです。

しかし、お子さんや部下が「人としてやってはいけないこと」をしてしまったことに目をふさいでくださいということではありません。してはいけないことをしてしまったら見逃すのではなく、お子さんや部下にしっかりと向き合い「それはいけないよ!」とはっきりと伝えることがすごく大事なのです。

繰り返しますが、自信とは、自分で自分を認めることができ、自分を好きになれることだと私は考えています。だから、本人が自分で自分を認められるようになる。自分で自分を好きになれるようになるためには、人としての道からそれていたら、「そっちは違う。こっちへ戻っておいで!」と正しい道に戻してあげなければならないのです。

心の病から解放してあげるには、叱る以外の方法は存在しない

やってしまった過去は変えられません。でも、やってしまったことで、自分はダメな人間だという心の呪縛に囚われてしまったらどうなるでしょう。あるいは、もうどうでもいいと逃避に走ってしまったらどうなるでしょうか。それでは心の病になるか非行に走るしかなくなってしまいます。

やってしまったことからの心の呪縛や逃避から解放してあげるためには、叱ってあげるしかありません。叱ることでしか、許すことができないのです。

叱られることで過去のやってしまったことから解放され、自分を許し決着をつけることができます。再起へ向けてリセットできるのです。再起が始まったら、親も上司も温かく見守ってあげてください。

ただ、叱っても、本人はわからないときもあります。ふてくされてしまうこともあります。叱ったほうとしては、イラッとすることもあるでしょう。「あなたのためを思って言ったのに、なんでわかってくれないの?」と。

でも、やがて自分が親になったとき、自分が上司になったとき、必ずわかってくれます。感謝もしたくなります。それでいいじゃありませんか。

最後に、この場を借りて感謝をさせてください。逆さ吊りで叱ってくれた亡き父に感謝します。中学生になってからは一切叱ってくれませんでした。いつも笑顔で見守ってくれました。全身全霊で叱ってくれた亡き恩師の川添先生、真剣に私を叱ってくれた元上司にも、心から感謝いたします。ありがとうございました。

自分に自信が持てるように、人としてあるべき姿から外れたときは、真剣に叱ってあげましょう。次回からは、自信をつけるための具体的な叱り方・褒め方をお伝えします。お楽しみに!

【追記】*****
秋もいつの間にか終わりに近づき、今年もあと2か月足らずになりましたね。温かいコーヒーを飲みながら、あるいはワインでも飲みながら、昔のことを思い出してみませんか? 私の場合は、叱られた経験でした。それも小言や文句ではなく、真剣に叱られた経験ばかり…。今回の記事は、こうして生まれました(笑)。


吉田裕児

人の可能性を最大化させ、日本を再び世界のリーダーにする」という未来実現のために、全国の企業に対し「会社の未来を担う次世代リーダーを育成する」ための活動を行う。
吉田裕児さんの紹介ページは→こちら



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