「日本の果物をブランドにする」日本の農業改革に挑む、23歳青年の運命と野望
株式会社Bonchi代表取締役社長、樋泉侑弥。山梨県南アルプス市出身。県内の高校を卒業後、オーストラリア・シドニーに2年間留学。帰国後、Apple Japan合同会社に入社。シドニーに経つ時は「もう山梨に住むことはないだろう」と地元に別れを告げたにも関わらず、山梨で、しかも農業で、なぜ23歳の青年は起業するに至ったのか。「日本の農業を変える」とはあまりに大きすぎる野望ではないか。日本の農業改革に真正面から挑む樋泉氏の話を聞いていると、なるべくしてこうなった、運命のような力を感じずにはいられなかった。
留学体験で学んだ「自分の人生を自分らしく生きる」の意味
学生時代から人に言われて行動するのが苦手で、フルタイムで働く母をみては「将来雇われて働くのは難しいだろうな」と漠然と考えていました。高校卒業後は英語習得の目的でシドニーに留学したのですが、2年後帰国する頃には語学という枠を越えて、僕自身の人格や世界観がものすごく広がる体験ができたのです。
留学前に紹介してもらいお世話になった、僕にとって「シドニーの母」といえる存在の女性が、毎月のように食事に招いてくれました。シドニーの母は人脈が広く、お宅に伺うと毎回、上場企業の会長さんや起業家さんが同席していて、田舎の高校生ではとても出会えない人生の大先輩から話を聞くチャンスをもらいました。
その方たちがかわるがわる、経験談や苦労話をしてくれたんです。みなさん僕のおじいちゃんくらいの世代なのですが、キラキラしているんですよね。
「どんな人になりたいか、どんな人生を送りたいか。そこから仕事を決めるといい」
「自分の性質と自分の得意分野、それと社会のニーズを掛け合わせて仕事を考えるといい」
そうか、仕事って「自分の人生を自分らしく生きる」ためのものなんだ、お金ファーストではない、自分の人生ファーストだ、自分にしかできない仕事をしよう。これからの生きる目的が明確になり、帰国しました。
Apple入社。「人生初めての挫折」と「唯一無二の強み」を探す日々
帰国後はAppleで働く以外の選択肢はありませんでした。英語力を生かせて、面白い経験ができるのはAppleしかないと。Apple表参道に直接出向いて応募フォームをもらい、数回の面接を経てようやく社員として働くことなったAppleには、魅力的な人たちがたくさんいました。同世代の仲間は、東京のド真ん中で生まれ育った、いわゆる「育ちのいい子」が多くて、センスあふれてめちゃくちゃカッコいいんですよ。
「彼らには勝てない」
人生で初めて、敗北感を味わいました。
学生時代は10年野球を続け、基本負けず嫌いな僕は、それから毎日のように「彼らに勝つにはどうすればいいか」「彼らになくて自分にあるものは何か」を探し始めます。
ある日、東京でスーパーに買い物に行った時のこと。驚くような値段で売られている桃に目が飛び出そうになりました。申し訳ないけれどそこまで美味しそうには見えないのに、ものすごく高い。山梨の実家には季節になると頂き物の桃やブドウであふれ、「果物はもらうもの」と当然のように思っていたので、東京で売られる桃の値段と質のバランスに驚きました。
「山梨にはもっと美味しい果物があふれている、それを東京の人が食べたらビックリするに違いない」と思うと同時に、「もしかしたらこれがオレの強みなんじゃないか」とひらめきました。
山梨で大切に育てられた桃
山梨の農家さんに、東京出身の人がいきなり契約してくださいとお願いしてもそう簡単に契約は成立しません。果物農家さんはある意味、職人さんです。田舎の職人の世界では、新参者は信頼してもらうのに時間がかかります。僕は山梨出身で親戚も果物農家をやっている。これは僕のウリになるかもしれない。
ちょうど世間ではインターネット販売が盛んになり始めた時期で、DtoC(自社で企画・製造した商品を、卸売業者や店舗を通さず直接顧客へ販売するビジネスモデルのこと)という言葉も耳にするようになっていました。よし、山梨の果物をインターネットで販売してみよう。
Appleに入社した翌年の2019年、テスト販売として50名ほどに、山梨の桃とシャインマスカットを届けました。対象者はApple関係の方が多かったのですが、みなさん、とんでもなく驚かれました。こんな色のシャインマスカットは見たことがない、こんなに大きな桃が世の中にあるのか、と。同世代だけでなく、親世代の方にも召し上がっていただきましたが反響がすごくて。これならいける、と確信しました。
季節が待ち遠しい山梨県産大粒シャインマスカット
コロナ禍で最初に緊急事態宣言が出た2020年4月に株式会社Bonchiを創業し、1年間ダブルワークを続けたのち、2021年にAppleを退職しました。
イタリア人のお父さんが山梨観光大使? 「オレ、持ってるな」と実感した瞬間
親戚が果物農家だとはいえ、もっと契約できる農家さんを増やさなければいけない。そう思いながら、仲間内で「こんなことをしてみたい」という話をしていた時のことです。
「オレの親父、山梨で観光大使やってるよ!」と友人の一人が言い出しました。それを聞いてとても驚きました。友人のお父さんはイタリア人だったからです。
話を聞いてみると、彼のお父さんは東京でイタリアンレストランを30年近くやっていて、生産者の話を聞き納得がいかなければお店では使わないほど、食材にこだわり抜く料理家でした。北海道から沖縄までたくさんの農家さんと知り合いで、山梨の果物に惚れ込み、山梨観光大使も経験したとのことです。
それからすぐに料理家のお父さんを紹介してもらい、その1週間後には、僕を連れて山梨の農家さん巡りをしてくれました。そこで貴重なご縁をいただいたのです。
この時ばかりは自分でも「オレ、持ってるな」と思いました(笑)。忙しいイタリア人の料理家が時間を割いて1週間後に山梨に連れていってくれ、たくさんの強力なコネクションを築いてくれたことに感謝しかなく、これはもう僕だけの問題じゃない、やり抜こう、と決心しました。
山梨で受けた洗礼。結果を出さなければ契約してもらえないと始めたクラファンがすごかった
山梨の農家さん巡りをした時、現在Bonchiと業務提携している株式会社山梨自然学研究所にも訪れました。こちらは無農薬を目指し、BMW技術という自然循環農法を研究、実践する生産者団体で、僕はぜひこちらと業務提携し、「山梨の最高峰の果物」を全国に届けたいと熱く語りました。しかし結果は惨敗。「農業の世界は甘くない」と代表にコテンパンに言われます。
洗礼を受け、結果を出さなければなんの信憑性もないな、と悟りました。
そこでMakuakeにてクラウドファウンディングを始めたのです。2020年5月から始めたこちらでは、51日間で800万円近くが集まり、Makuakeの農産物部門ではいまだに歴代一位の記録となっています。
山梨を訪れてから1年経ち、農家さんとのやりとりの中で農業の現状が見えてきて、僕のビジョンが明確に定まったのもその頃でした。
その結果を持って再度、山梨自然学研究所を訪れ、具体的なビジョンをお伝えし、ありがたいことに業務提携する流れとなりました。
日本の果物農業が抱える問題に、Z世代が真正面から取り組む「3つの仕掛け」
・日本の農家の平均年齢→67歳
・後継者のいない農家→全体の60%
・65歳以上の農家→全体の64%
・農家人口はここ50年で900万人減少
・20代の農業者割合→1%
この数字を見ても、日本の農家の生存が危ぶまれている状況がお分かりいただけると思います。あと5年も今の状況が続けば、日本の果物農家は半分に減ってもおかしくない。今の日本の果物農業は危機的状況に陥っています。山梨県の果物農家で後継者がいない農家は60%にのぼり、就農希望の20代がいるにも関わらず、就農できないという矛盾も発生しているのです。
山梨の桃を、ブドウを、守っていかなければならない。
農業といっても果物農業に特化した話になりますが、Bonchiでは日本の果物農業を変えるには3つのポイントが重要だと考え、現在取り組んでいます。
①日本の果物を正当な価格で流通させ、ブランド化する
「日本の果物はブランドになる」僕はこう確信しています。例えばアメリカの果物農業は、広大な土地があるから必然的に量産思考になりますが、日本の果物農業は、限られた面積の土地で昔から品種改良を繰り返し、桃一個、ブドウ一房にかける労力や費用は海外とは比べ物になりません。そのおかげで、まるでスイーツのように甘く、見た目も美しく、農家が持っている技術は世界トップレベルです。
だからこそ、梱包する箱や見せ方を工夫してブランド化し、日本の果物を「正当な価格で」国内だけでなく海外に販路を広げていかなければなりません。日本の果物農業は、これからの日本を支える産業になっておかしくないほど、たいへん価値あるものなのです。
メイドインジャパンは衰退したといわれることもありますが、僕はシドニー滞在中、メイドインジャパンが今も海外の人に根強く浸透していることを実感しました。
「メイドインジャパン」の果物は、必ずブランドになります。
株式会社Bonchiは「果物農業のリブランディング会社」という立ち位置で、これからの日本の果物をブランド化することを目指しています。今は山梨県内の果物を取り扱っていますが、これからは他県の果物も扱い、また海外にサンプルを送り来年から海外にも本格的に販路を広げる計画です。
HPに掲載された果物すべてがみずみずしく、品位を感じさせる
②職人と商人を分ける
果物農家は基本的には職人なので、商人の役目を果たすのは難しい、農業界は職人と商人がはっきり別れたほうが健全だと僕は考えています。
そうすることで農家は、より素晴らしい果物を作ることだけに専念できる。
そこに集中してもらうために、役割分担というか助け合いが必要になってきます。相互に助け合うことで、業界自体が健全化し、活性化するのです。
例えば、都内でレストランを経営する方が山梨の農家と直接取引したいというご要望があったとします。このようなご要望は実際とても多く、農家側も直接顧客との契約を希望するのですが、残念ながら両者が契約を交わすことは難しい、というか現状では不可能です。
なぜなら、週に2・3回この量を送ってほしいと注文があっても、繁忙期の農家は朝から晩まで収穫・仕分けの作業に追われ、そんなことはとてもできないからです。
そこでBonchiが、農家からコンテナでボンっと出荷された果物を、仕分けし梱包し、レストランに送る作業を代行します。お客様情報や領収書などの煩雑な作業も僕らが請け負うことで、農家は果物作りに専念でき、山梨の美味しい果物が東京のレストランでも楽しめるようになります。
今まで農協がやってきたことで、便利なシステムはより便利に、時代と共に機能しないシステムは僕ら新しい世代が現代の形に変化させ、新たな流通システム、エコシステムを作っていく。それは僕らの役割だと考えています。
「その大きさはあなたの想像を超える」と銘打った山梨県産大粒さくらんぼ。美しい
③若者の就農人口を増やすシステムを作る
若い後継者を育てなければ、日本の農家は確実に衰退します。超高齢化、人口減少などでこの状況はさらに加速するでしょう。一方、先にも伝えたように、就農を希望する20代の若者が就農できないという矛盾も生じています。そこには初期費用の問題があります。農業を始めるにはおよそ1000万円が必要といわれ、若い世代がそれほどの大金を払うのは難しいのです。
これでは後継者が育ちません。
そこでBonchiが、いってみれば留学エージェントのような立場で、就農を希望する若い世代と地元農家を繋げる役割を担います。
現在2人の20代農業者が参加しているこの農家育成プログラムは、熟練のBonchi契約農家と一緒に作業することで、農業の伝統的な技術やこだわりを直接学ぶことができます。研修期間中はBonchiの契約社員として社会保険も完備、移住や転職の不安を解消し、仲間と共に切磋琢磨しながら農業を習得することができます。
農家として独立後は、現役農家から畑や機械をそのまま引き継ぐことができ、初期費用を大幅に削減し、また農家の後継者問題解消にも繋がります。農地というのは家と同じで、使っていないとどんどんダメになってしまう。そこで、現役農家が後継者にバトンを渡したいタイミングで若い世代に譲渡できるよう、Bonchiが仲介していきます。
Bonchi契約農家であり、海外にもその素晴らしい技術を伝える小澤さんと、2人の研修生
「日本の農業を変える」という大きな野望
お金を稼ぐのであれば、社会の問題を解決し、人の役に立つようなことをしたい。世の中の問題に真剣に向き合い、人を幸せにすることで、お金は後からついてくるものだと思っています。Z世代的な思考といわれればそうなのかもしれません。
起業してまもなく2年。現在は2人の若者が農家育成プログラムで研修に励んでいますが、これからもっと多くの農業者を増やし、Bonchiの門下生を増やし、一つの生産者団体を目指したいと考えています。地球環境に適した有機栽培、減農薬栽培を実現するため、地元の農家の高い技術を継承しながら、価値あるものを適正な価格で世界に広めます。
これから先、桃農家が100人集まり、ブドウ農家が100人集まれば、アメリカの大規模農家に匹敵する力のある農業集団になれると思う。
ものすごく大きくて無謀な夢に思われるかもしれないけれど、無理なことではないと確信しています。
農業はチャンスの塊です。果物マーケットは規模が大きい一方、国でさえ、どう改善していいかわからず迷走している。だからこそ僕ら若い世代が農業のイメージを根本から変えて、Bonchiの農家ってすごいよね、カッコいいよね、という世界観を打ち出し、これからを担う世代に農業に興味を持って賛同してもらうよう働きかけます。
こんな大きなことを言っていますが、不安もめちゃくちゃたくさんあります。ワクワクすればするほど、その分不安も大きいというか、難しいですね。
売れなかったらどうしよう、農家さんとうまくいかなかったらどうしよう、そんな不安は常にあります。
僕はパッションでガンガン進むタイプなのですが、それで痛い目にも遭いました。漠然とした見えない不安にかられて放心状態に陥ることもありますが、不安の出どころを見極め、どうにかできるものは全力で取り組み、どうにもできないものは忘れるように努めています。
あとは仲間の存在が大きいですね。僕がヘコんでいる時に周りの仲間が真剣に取り組んでいるのをみると、彼らがこんなに頑張ってるのにオレは何をしているんだと勇気づけられ、壁を超えられたことが何度もあります。
Bonchiは日本の果物をブランドにし、日本の農業を改革します。
大きな野望を抱きながらも、樋泉氏は穏やかで柔らかい印象の青年だった。インタビュー中、決して私の話を否定しない。私が間違った事を言っても、必ず「そうですね」と受け止めてから軌道修正してくれる。素晴らしいと思った。年配の方とも交渉する機会が多い中で、自然と身につけた能力なのだろう。
樋泉氏の話を聞いて、はじめは「特別な力に守られ、突き動かされるような運命の人なのだろう」と考えたが、果たしてそうだろうか。
挑戦者とは、「これだ」というものを見つけたら決して逃さず、チャンスを必ずつかみ取る、嗅覚と行動力に優れた人物なのではなかろうか。そしてそれは、おそらく誰にも平等に与えられた能力であり、訓練次第で身につけることも出来るだろう。
樋泉侑弥、23歳。これからの日本の農業を変革し、歴史に残るようなことを成し遂げるであろう人物。それでも彼は言う。「僕一人では何もできないので」と。
人は一人では何もできない。それも、誰もが平等なのだ。
本記事は「作家たちの電脳書斎デジタルデン」編集部作成、2022年3月15日掲載記事を転載したものです。内容・状況などは記事作成当時のまま掲載しています。