職人の流儀「素材が悪ければすべて台無し ~バイオリン製作者・陳昌鼓【第1回】」

職人の流儀 ~バイオリン製作者 陳 昌鼓~

日本に、偉業を成し遂げたバイオリン製作者がいたのをご存じだろうか? 「国際ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ製作者コンクール」で、6部門中5部門で金メダルを獲得。さらには「無鑑査製作家」の認定と「マスターメーカー」の称号を獲得。この称号を持つバイオリン職人は世界でたった5人で、アジア人で唯一の保持者。「東洋のストラディバリ」とまで評されるほどに。陳昌鉉(チン・チャンヒョン)こそ、その人物。

しかし残念なことに、2012年に他界…。だが、陳昌鉉の技術と魂は生き続けていた。実の息子・陳昌鼓(チン・ショウコ)に受け継がれたのだ。デジタルデン取材陣は幸運なことに、この陳昌鼓氏から話を聞くチャンスを得た。

真のプロフェッショナルは、多くの魅力を備えている。仕事の流儀、そして生き方まで。それは業界の垣根を超えて、我々を魅了して止まない。陳昌鼓氏こそ、それに適合しすぎる人物だった。バイオリンをよく知らない人をも惹きつける話の数々を、余すことなくレポートしていく。

全3回を予定しているが、第1回目となる今回のテーマは「バイオリンも素材が命」。設計図通りに作ったもの、値段が高いものが必ずしも良いとは限らない。料理だって、どんなに腕のいい調理人が作ったとしても、素材が悪ければすべて台無し。バイオリンも多分に漏れず、その原理に当てはまる。

値段が高いほど音がいいとは限らない

「英語車掌」こと関 大地(以下、関)
本日はお時間を頂き、ありがとうございます! 以前はJR東日本で車掌などをしていまして、今は作家や講師として活動しております関と申します。本日は私がメイン・インタビュアーとなって、お話を伺っていきます。

JIN工房・陳 昌鼓(以下、陳)
はじめまして、「JIN工房」という所でバイオリンを作っております陳 昌鼓(チン・ショウコ)です。

:好きな女性のタイプを教えてもらえますか?

:えっ、いきなりですか…??

:「今日はあったかくて、いい天気ですね」とかでもなく、いきなり全く関係ない質問からになりますが(笑)。

:優しくしてくれる女性ですかね。男って褒められたりするとすぐ喜ぶ、単純な生き物ですから^ ^;

:同じ男として、激しく同意です! この質問をさせていただいたのには、実は理由がありまして。異性には相性がありますが、同じように楽器と奏者(楽器を演奏する人)にも相性ってあるような気がするんですけど。

:あると思いますよ。奏者との相性だとか…。

:あるんですか~。

:もっと言うと、奏者が子供の時からバイオリンに触れていると、弾かなくてもわかるんです。見ただけで。どんな音がするのだとか。

:見ただけで…、すごいですね。

触っただけで「あぁ、これはこういう材質だから、板をこれくらいの厚みにしたらベストな音になるな」とかも、わかってしまうんです。こういうので奏者は、自分に合ったバイオリンを見つけ出すんだと思います。

:今まで触れてきたからですね。直観でわかってしまう感じですか。

:でも今は、詳しい設計図があるんですよ。一昔前は設計図って職人の財産だったので、門外不出の秘密の物だったんですけど、今は設計図が本で発売されているので、誰でも見られるような状態で出回っているんですよ。どこの部分は何mmがいいというところまで、本当に詳しく載ってます。

:すると、客観的にも判断がつくということですね。

:一説には「ストラディバリウス」が一番いいとも言われています。ストラディバリウスとは、イタリアのストラディバリ父子3人が作った弦楽器のことですけど。

:ストラディバリウス、僕も名前は聞いたことがあるくらいなので、バイオリンをよく知らない人にも割と知られていますよね。やっぱり、いいんですか?

:とはいえ、ストラディバリウスもやはり古い物なので。250年以上も経過するといろな部分がヘタってきてしまって、実はいい音がする物って限られてしまうんです。歴史のあるバイオリンは値段が高くても、骨董的価値があるだけで音がそんなによくないことだってあり得るわけです。

:弦楽器ですから弦をずっと張っていると、弦もそれを支えるネックも弱ってきますよね。

:何万キロも走っていたら傷んでくるクルマと同じです。どっちも消耗品ですよ。バイオリンも使われるほどに劣化していきますし、そして木でできていますから湿気などでも弱ってきます。
設計図通りに作っても、なぜ音がイマイチになってしまうのか?

:バイオリンは、材料はすごく大事。この細い棒は「魂柱(こんちゅう)」といって、バイオリンの内部を支える柱なんですが。表板と裏板の間に挟まれています。

:こげ茶色と、薄くて白っぽい色のものと2種類ありますけど、だいぶ色が違いますね。

:こげ茶のほうが、150年~200年くらい経った木です。木の中の水分が抜けて、組織がぎゅっと凝縮されてこの色になるんです。

:すごい…。木目が立体的に見えますね!

そう言って陳さんが取り出したのは2本の棒。魂の柱と書いて「魂柱」というバイオリンに使用する材料の一部なんだそう。その名前の通り、バイオリンの魂となる部分とも言える重要な部品で、この小さな柱ひとつで響き方が全然違うのだとか。

:そうなんです。中の成分が凝縮されて詰まってきて、木目もハッキリ浮かび上がるんです。こっちの白っぽいほうは、10年くらい。でも違うのは色だけじゃなくて、音もなんです。今からこの2本を机の上に落としますから、音の違いをよーく聞いてみてくださいね。

:えっ、全然音が違う! 白い方は軽い音がして、こげ茶のほうは重たい音がします。

:でしょう? 白いほうは緩い音がして、こげ茶のほうは詰まってる音がするのが解りますよね。

:材料で、こんなに変わるんですね。

どんなに完璧な設計図でも、その通りに作ったとしても限界があるんです。新しい材料で作ったバイオリンでは、古い木で作った場合のような詰まった音は出せません。「弘法筆を選ばず」なんて言いますけど、ある著名な書道家に聞いたら「それは違う」って言うんです。筆も大事だって言うんですよ。

弘法は筆を選ぶと…?

:そう! 100円ショップの筆や硯(すずり)、墨では、数百万もする硯で墨を使ったのと同じ字は書けないんです。

:バイオリンで音を奏でる場合も、それなりの材料を使ったバイオリンでないと無理だということですね。

:いい材料となると、こちらの古い木もそうなんですが、これ1枚でバイオリン1台分となります。いくらくらいになると思いますか?

:ええっ、貴重な材料なんですよね。それなりにするとは思いますが、かといっても見当もつかない…。う~ん、じゃあ、150万円くらいでどうでしょう?

:いいセンいってますよ。「サザビーズ」はご存知かと思いますが、世界的に有名なオークション会社ですけど、このサザビーズのオークションで10年前なら、150万円くらいの値段はついたでしょうね。

:では、今だと値段は違うと? もっともっと値段が跳ね上がっている可能性があると…。

:その可能性は高いです。それも古いものの価値って面白くて。当時はこんな板切れなんてタダ同然でした。そこらじゅうにあるわけですから。でも今となるともう存在せず、希少な物になりますから、値段が上がってしまうわけです。

良いバイオリンからは、たくさんの音が出せる

:実際、このような板を使ってバイオリンを作ると、とてもいい音がするんでしょうね。

:はい。どういうところが違うかと言うと、新しめの材料のバイオリンでは「倍音」が出にくいんですよ。

:倍音について、説明していただけないでしょうか。

:倍音とは、「振動体の発する音のうち、基音の振動数の整数倍の振動数をもつ部分音」となりますが、なんのこっちゃですよね^ ^; 簡単に言ってしまえば、新しい木よりも古い木を使ったほうが、違う音も同時にたくさん出せるということです。

:なぜそんなことが起きてしまうんですか?

:古い材料は新しい材料より詰まっていて音をよく響かせますから、そんなことができちゃうわけです。10年くらいしか経っていない新しい材料だと、絵具で例えるなら10色なんです。つまり、10色しか表現できない。100年や200年も経年を重ねてきた古い材料だとそれが100色にも200色にもなる。10色使って表現するのと、100色使って表現するのでは全然違いますよね。

:そんなに違うんですか…。

:古い材料で作ったバイオリンは、それだけ幅広い音を使って表現することができる。だからどんな人が弾いても、上手く弾けちゃうことが多いんです。

:自然の緑を表現するのに、同じ緑色だけでも数えたら何色もあって、それを表現しようとしたら幼稚園で使う12色のクレヨンじゃ全然足りないってことですよね?

:10年くらいの新しい材料で、いくら頑張ってバイオリンを作ろうとしても、その材料はもともと10色程度しか表現できないから、限界があるんです。欧米ではこういう新しい材料で作った楽器に対して「音楽にならない」って言うそうなんです。音が単純すぎて話にならないと…。

――特別インタビューの記念すべき「第1回目」のレポートは、ここまで。仕事において、テクニックや世渡り術も確かに大事かもしれないが、扱う素材こそないがしろにできない。バイオリンや料理や電気製品のようなモノづくりは言うまでもなく、例えばデスクワークの仕事だって資料の元となる素材がダメならすべて台無しだ。さらに言えば、出発点である素材を追及することなくして、最高の仕事とはならない。テクニックや交渉術は、素材の次に考える課題となろう。「素材なり原点に返る」、そんな冷静に考えると非常に当たり前なことの重要性を痛感させられた。

次回「根気、自信、そして知能。すべてを急成長させる楽器の偉大なる力 ~バイオリン製作者・陳昌鼓【第2回目】」へ続く……


本記事は「作家たちの電脳書斎デジタルデン」編集部作成、2021年6月15日掲載記事を転載したものです。内容・状況などは記事作成当時のまま掲載しています。

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