職人の流儀「お金がなくても、歳を重ねてしまっても、夢はあきらめなくて大丈夫 ~バイオリン製作者・陳昌鼓【最終回】」
バイオリン製作者の世界規模でのレジェンド・陳昌鉉(チン・チャンヒョン)という偉大な父を持ちながら、そのプレッシャーに負けず父の仕事を引き継いだ陳昌鉉(チン・チャンヒョン)。職人気質でとっつきにくいと思いきや、とても気さくでデジタルデン取材陣を和ませ、笑いも絶えなかった。
とはいえ、仕事のレベルはとてつもないもの。技術もさることながら、向き合う姿勢は周囲をも熱くさせる。
最終回となった今回は、陳昌鉉氏の「仕事を通じて世の中をどうしていきたいのか」を赤裸々に綴っていく。先に種明かしをしてしまうと、「金銭的な事情や年齢のせいで夢をあきらめる」のは非常にもったいなくやるせないものであり、そこに歯止めをかけたいということだった。
今回の話こそ、業界を問わずどんな仕事は言うまでもなく、子育てにも、さらには自分自身にも照らし合わせて考えていきたいテーマとなろう。
一生分以上の良質な材料があるのは、129ヵ国から集められたからこそ
関:珍さんは材料にこそとことんこだわられますが、一つ気になったことがあります。オーダーが入って、納得のいく物を作るために「材料が手に入らないからちょっと待ってくれ」ってこともあるんですか?
陳:実は私、材料だけは一生かかっても使いきれないくらいストックを持っているんです。というのも、私の父が世界中を飛び回って交渉して。多くのご縁を頂いて、譲ってもらった材料があるんです。夢追い人というか、行動力が半端なくて。噂だけでその場所に行ってみたりとか、強引に材料を手に入れちゃったりとか…。
関:お父様は、どれくらいの場所に行かれたんですか?
陳:129ヵ国くらいかなぁ…、途中からバックパッカーになってしまって。アフリカで3ヶ月とか、南極や北極にも行って、南米も行って。70代になってもそんなことを続けてましたから、若い人たちの間ではカリスマだと拝められてたみたいですよ(笑)。
関:身の危険とか、感じないほうだったんですか?
陳:そんな父も「南米だけは危ない」って言ってて、エクアドルの大使館からお電話頂いたこともありましたね。とはいえ、ホント、どこにでも行きました。1年の半分は素材集めみたいなモンでしたから、父が旅に行く度に家族で「大丈夫かな…」って心配してました^ ^;
関:材料の現物を自分の目で見て触ることで、ちゃんと選びたいっていう気持ちもあったんでしょうね。
関:材料ですと、産地も重要ですか?
陳:実は「産地ほどアテにならないものはない」という意見もあるんですよ。
関:それは意外です…。
陳:日本の木の種子が空中に舞い上がって、ジェット気流に乗ってイタリアで育つなんてこともあるくらいだからです。生まれと育ちが違うなんてことが、木にはよくあることなんです。だからこの産地にバイオリンに適した木が多かったからといって、それにとらわれすぎるのは危険なんです。
関:アメリカ生まれで日本育ちの牛の肉でも、日本での飼育期間のほうが長ければ「国産牛」と呼ばれるようですが、その理屈とちょっと似てますね…。産地よりも、木1つ1つをしっかりと調べないといけない、ということですか?
陳:おっしゃる通りです。
粗悪品を高額でだまされて買わないようにする方法
陳:今は木目を出す塗料とかなんかもありますが、父はそういったことはしない人で、木目一つにしても天然であることを大事にしています。あ、そうそう。ちょっとこの下の孔からバイオリンの中を覗いてみてください。f字孔を塞ぐと光を通しませんよね。横板で1.3㎜程の薄さなんですけど、古い材料は木目が締まってるので、その薄さでも光を通さないんです。
関:f字孔って、バイオリンの弦が張ってあるところの両サイドにある「f」の形をした孔(切り込み)の部分ですか? ここをふさいで覗いてみますね。
陳:どうですか?
関:おっ、真っ暗! 全然光が通ってないです。1.3mmって相当薄いはずですし、木の板なのに…。
陳:そうです。経年変化で木の成分が凝縮されて、樹脂が結晶化した結果がこれなんです。凄いでしょ? 10年程度乾かしただけの木材では、こうはなりません。そういう材料でこの薄さで作ってしまうと、光はどうしてもある程度通過してしまって赤っぽく見えたりするんです。
関:知っておくと便利な知識ですね!
陳:これ、普通の楽器屋さんでは教えてはくれないんですけど、弾かなくても光を通すか通さないかを見ることで、ある程度判断できちゃう。だからバイオリンを買う際には、ぜひその部分も見てほしいですね。たとえ「古い材料を使ってる」って言われても、たいがいのバイオリンはほぼ光を通しちゃう。古くても、材料そのものが悪いから。
関:楽器屋さんから言われるがままに、変なバイオリンを買ってしまった人、多そうですね…。
陳:ストラディバリウスだって言うのに、光を通すのとか買っちゃったら大後悔しますよ。ちなみに昔、父がこの話を音楽関係の雑誌に書こうとしたら「そんなこと載せたら楽器が売れなくなる…。ホントのこと書いちゃってどうするんだ!?」って、楽器屋さんから圧力をかけられてました。
関:ひどい話ですね…。
陳:でも今は、インターネットでどんな情報も検索することができますし、やっぱり正しい情報を伝えることは大事です。何よりも、決して安いとはいえない値段で楽器を買うわけですから、粗悪な品をつかまされるのではなく、ずっと使い続けられるいい楽器と出会ってほしいんですよ。楽器を作る一人として、これは強く願うことです。
関:数万どころか、数百万、数億の損になることも、やっぱりあるんですかね…?
陳:芸術品コレクターとしても有名だったMさんが、ストラディバリウスを購入したのにそれが粗悪品だったらしく「10億もしたのに!」と、大騒ぎになってるって噂を聞きました。それが本当なら、僕に相談してくれれば選ぶのに協力してあげたのになぁ…って思いますね。
関:「名前は凄いけど、実は…」ってみたいなパターンですね。
パーツ1つ変えるだけで、10倍も音が良くなることも
陳:でもそういう残念なバイオリンでも、さっきお見せした古い材料から作った「魂柱」や「駒」に取り替えてあげると、音が3倍、4倍、10倍にもなっちゃう。駒とは弦が張ってある中間で、弦が一番高くなっている(本体から離れている)ところで弦を支える板のようなパーツのことで、「ブリッジ」とも呼ばれています。
関:こういった小さなパーツだけでも、そんなに変わっちゃうんですか!?
陳:信じられないかもしれませんが、本当なんです! 変えただけで別楽器みたいにガツンと良くなる。楽器の持つ本当の能力が目覚めちゃう。下手したら「楽器、買い換えたの?」とか言われますよ。
関:値段が高かった割に音が悪くて困っている…、なんて人に朗報ですね!
陳:さっきのMさんのストラディバリウス(?)も、パーツを取り換えたら「買って良かった!!」って感じる音になる可能性はあります。ウチに来るお客様にも、最初は信じてないというか半信半疑になっている方が多いんですけど、最後は喜んで帰ってもらっています。だまされたと思って僕に相談してほしいです。歓迎しますよ!
関:実は最初は僕も「こんな小さなパーツで?」と半信半疑でしたが、陳さんの説明を聞いてたらすごく腑に落ちました!
陳:弦楽器の世界ってユダヤ系の方が多いんですけど、そういう国の有名な楽器屋さんにこの魂柱や駒を見せた時「お前、なんでそれを持っているんだ!?」ってすごい剣幕になるんです。
「その魂柱と駒を持ってるわけがない。だって自分達が独占してるはずなんだから。なんでここにあるんだ!」って…。
関:ユダヤ系の方が、そんなリアクションをとってしまう理由とは?
陳:「自分たちは魂柱と駒を交換することは、何億で売る楽器にしかやらないんだ」って言うんですよ。先ほどもご説明した通り、魂柱と駒を交換しただけでも音がかなり変わります。だから取り替えて「この楽器は素晴らしいんですよ」って言って値段を釣り上げるんです。魂柱と駒が良いお陰なのに、本来の価値に加え5億も6億も釣り上げちゃう。
お金がないだけで才能を絶たれてしまう人を、1人でも多く救いたい!
関:ほとんど世に知られていない裏事情的な話ですね…。で、このことを知っている数少ない人たちの一部というのが、陳さんの工房に助けを求めに来た方たちであり。
陳:ウチの工房の存在が世に広まらない理由が、そこにもあるんですよ。それだけの腕や材料を持っている工房があることが、ライバルに知れたらみんな上手くなっちゃうからです。特に音大に行ってる子なんて、周囲はみんなライバルというか敵ですから、ウチの存在を教えちゃうと敵に塩を送る事になりますからね…。だから顧客満足度は高いのに、ウチのことをあんまり広めてくれないんです(笑)。
関:はがゆいですね…。
陳:僕としては広まって欲しいです。やっぱり楽器って決して安いものじゃないし、高い楽器を買えるだけのお金を皆が持ってるわけじゃない。才能ある子が金銭的な問題で夢を諦めることがないように、いい音を弾いてみたいと目を輝かせる人に、あるいは自分の音に悩んでる人に、僕の楽器を提供して満足してほしいって思っています。
関:とても素敵なことですし、とても共感します!
陳:だから正直、作業にかかる手間や材料費とかを考えても、ウチの楽器は採算度外視なんですよ。原価率が異常に高い。でもね、本当にウチの楽器に触れた人や調整を依頼してきた人は100%「JINさんにお願いしてよかった!」「こんなにいい音が出るようになるなんて思わなかった」って楽器を抱きしめて帰っていくので、その点は自信を持って言わせてもらいます。
関:JIN工房さんのバイオリンなら、貧富の差にあんまり関係なく手にできそうです! 実は子供に「私がピアノ弾くから、お父さんバイオリン弾いてよ~」って言われてるんで、僕もお世話になりたいくらいです(笑)。
陳:ぜひぜひ、お待ちしております!
先生選びこそ、上達の近道。褒め上手こそ、教え上手
関:バイオリンを練習するにあたって、気にしたほうがいいこととかありますか? 響きが良い場所で練習するのがオススメとか…。
陳:できるなら、解放感がある場所でやったほうがいいですね。そもそもコンサートをするようなホールって、音の響きがいいじゃないですか。だからそういう場所でやったほうが上達しますよ。
関:防音が徹底した部屋のほうが、よさそうな感じもしていました…。
陳:なぜなら、響きがある場所でやることで、音の響かせ方までわかるようになるからなんです。防音室とか本格的な部屋とまでいかなくても、和室でも畳が音をどんどん吸っちゃって、あまりいい音が出せないんですよ。家庭の事情などもありますから無理にとは言えませんが。
関:他にも何かあります?
陳:あとは、「人前で弾きなさい」ってよく言いますね。聞く人から求められる音を出そうと頑張ろうとするから。
関:指導してもらう先生も大事ですか?
陳:先生は、否定的なことは言っては駄目ですね。褒めるのが上手な人がいいですね。褒めることができるのは、その人の才能を見抜く力がある証拠ですし。
関:スパルタ教育で「こんなんじゃダメだ!」「何度言ったらわかるんだ!!」という先生も、未だにいそうですけど…。
陳:その先生こそ「そんなこと言ってるお前こそ、ダメだ!」と言いたいですよ(笑)。アメリカのテニス界にニック・ボロテリー氏というコーチがいるのですが、彼は褒めるのがとにかくうまい! 選手をどんどんやる気にさせるんですよ。錦織圭選手も、ボロテリー氏の指導を受けたことがあるんですよ。
関:スポーツの世界でも、当てはまるんですね~。あと、演奏が上手な先生のほうがいいんですか?
陳:そうとも言い切れないんですよ。名教師は素晴らしい演奏家とは限らず、そこも注意するといいでしょう。だから教えるのが上手だけど、演奏はヘタということもあるんですよ(笑)。先のボロテリー氏も、テニスはそんなに上手じゃないという噂で…。
関:一緒に練習する人も関係しますか?
陳:もしチャンスがあれば、上手な人の隣で演奏するのがベストですね。「追いつきたい!」と思って「いい音とは何か?」「それを出すためにはどうしたらいいのか?」を一生懸命考えて、試行錯誤して再現しようとするからです。
遅いなんてことはない。バイオリンは何歳からでも始められる!
関:僕、今年で38歳になるんですけど、まだ間に合いますか?
陳:全然問題ありません。10年くらい経った頃に、とてつもなく上手になっている可能性はありますし、そういう人はいっぱいいますよ。
関:小さい頃から始めないと無理だとか、そんなことはないと。
陳:その通り! こんな歳だからと、諦めないでほしいです。音大とかじゃなくて、経済学部とか音楽とは関係ない学部を卒業して、プロになってオーケストラに入団までした人もいますよ。
関:ネガティブな話になるかもしれませんが、今はコロナ禍で演奏会の開催なども難しくなってきたのは辛いですよね…。
陳:確かにそうかもしれませんが、ネット環境もだいぶ発達してきましたから、これからは遠く離れた人同士でセッションしたり、それで演奏会もできちゃったりなんかも、もっとできるようになるんじゃないでしょうか。
関:そうなっていけば、バイオリンも演奏も、さらにはエンタメや文化的なものすべて、可能性はますます広がりますね!
――タイムリーな事に、この記事を書いている時にTwitterで「90歳の女性が、60歳の時にバイオリンを習おうとしたけれど、歳だからともう遅いと諦めた。でもあの時始めていれば、30年もできたのにと後悔した」と言う話が流れてきた。本当にその通りだと思う。何かを始めるのに「もう遅い」と言う事は無いのかも…しれない。
本記事は「作家たちの電脳書斎デジタルデン」編集部作成、2021年6月29日掲載記事を転載したものです。内容・状況などは記事作成当時のまま掲載しています。