元テレビマンの映像会社社長が「2000円あれば充分幸せになれる」と言い切る理由
ある時は水玉ネクタイ、ある時は水玉シャツ。水玉をこよなく愛し、鋭い眼差しとは裏腹に、独特な語り節で二言目にはぶーっと吹き出してしまう話題が飛び出す。合言葉は「上で会おうぜ」。まるでお笑い芸人のようなオーラを放つ人物、それが今回登場する永野豪氏だ。元テレビ制作会社勤務、現在はPR映像制作会社代表取締役と聞くと、なるほど、と納得してしまう。いやいや、人をひきつけるオーラはテレビの世界にいたからと決めつけるのは早い。華やかな印象の裏には、永野氏がもがき苦しみ、やっとの思いで手に入れた「あるもの」がしっかりと根付いている。
「キャラ」立てて「ギャラ」上げます?
当社が創業以来7年以上、毎月定期開催している「キャラ立ちセミナー」というセミナーがあります。延べ1500人が参加したこのセミナー。「キャラ立ち」という言葉を「ブランディング」と説明するとわかりやすいでしょうか。主に個人事業主やセミナー講師を対象に、その方の魅力を引き出し、キャラを際立たせ、「あなただからお願いしたい!」というファンを増やす方法を伝えています。
飯を食うためには、キレイゴト抜きで集客して選ばれなければいけません。いい意味で目立たなければならない。「あなただからこそ人に紹介したい」「あなたから商品を買いたい」と思われなければ、人に選んでもらうことはありません。良いことだけを並べても選ばれないし、不自然ではバレる。自然体の延長で、その人の魅力が引き立つ方法を2時間半で徹底的に伝えます。
この「キャラ立ちセミナー」では、ジャンケンで勝ったお客様一人に対し、私が即興でその方の人生をドラマ仕立ての共感ストーリーにする、という公開セッションを実施しており、当セミナーの目玉になっています。
ジャンケンで勝った方に、私が幼少時代から今までについて何項目も質問し、その場でホワイトボード一面にビッシリ記していきます。参加者がハラハラ見守る中、ホワイトボード上は、その方の過去の出来事が次第に整理され、共通点が見出されます。すると、点と点だったバラバラの出来事が線として繋がり始め、「あの時ああだったから今の私があるのか」と自身の人生に納得できるようになります。そこに私が、ドンッとその方のキャッチコピーを言語化することで、「自分の進むべき道が見えた」とセッション受講者が納得し、「キャラ」が立ち始めます。しかも時間は15分以内という制約で、毎回真剣勝負です。
自分の本当の魅力は自分ではなかなか見つけられず、見つけられない場所にこそ存在するものです。だからこそ、人の「キャラ」を立てるプロである私が手を差し伸べる。なぜ私がお客様の魅力を引き出せるのか? それは、学生時代にもがき苦しみやっと手に入れた「自分軸」があるからと自負しています。
「みんな」に染まったらダメになる。「オレは何者か」死に物狂いで模索した青春時代
「自分軸」を手に入れるきっかけとなった出来事は、高校時代にさかのぼります。ラグビー部に所属していた私は、部活の奴らとは親しかったけれどクラスには全く馴染まず、移動教室も一人で行動しました。なぜか? 面白いと感じられない場所に染まるのがイヤだったのです。普通にみんなと仲良くして、普通に大学に行って、なんの疑問も持たず普通に社会人になることが怖かった。オレって何者なんだ? オレにしかないものは何だ? 常に自問自答する高校時代でした。高校時代は自我が芽生える時期です。その時期におそらく無意識に、周囲と距離を取るよう仕向けていたのですね。みんなと馴染んでいる場合じゃねぇな、自分と向き合ってオレなりの答えを見つけなきゃって。
トガッているだけでも答えは見つからないので、地元のトガッた奴らを集めて、暴走族を作るノリで劇団を作りました。なぜ劇団か? 当時バンドをやっている連中は周りにたくさんいたけれど、劇団は誰もやっていないというノリで。
オリジナルで脚本を作り演出も役者も全部手作りです。20人くらいの野郎ばかりで1時間半の劇を作って、センター試験5日前にホールを押さえ寝ずに練習しました。練習場所は小学校の校庭。ところが本番当日の朝、目覚めると体が恐ろしく熱い。ヤバい。でも熱を測ったら負けだ。そのまま押し切って舞台に立ちました。笑いあり涙ありのエンターテインメントが完成し、鳴り止まぬ拍手を浴びながら「生きている手応えを手に入れた」と確信したのです。
実は本番前夜、劇はまだ完成していませんでした。焦りと葛藤しながらも、一度帰ってまた集まって練習しようぜとチャリンコを走らせる中、親友がポロッと言ったのです。「オレたち、こういうの好きなのかもな」と。その時は感覚的に受け止めましたが、今はそれを、私の生きる軸としてハッキリ言語化しています。
「気の合う仲間と行動して、伝説を作る。そして生きている手応えを感じる」
気の合う仲間を集めて「何か」に挑戦すると決める。伝説といってもちっちゃい伝説でいい。仲間うちで「オレたち、あの時やったよな」と語れること、自信に満ちあふれた時間を10年経っても共有できる伝説、生きている手応えを感じることをやりたい。世のため人のためを抜きにして、まずはこれを軸に生き抜くぞという柱。それを、この劇団を通じて手に入れました。
もがき苦しんだ高校時代でした。ラグビーは好きでも一生食ってはいけない。自分とは何か、個性とは何か、それを見つけないとオレはダメになる。クラスの「みんな」と馴染んで「みんな」と同じになったら、オレはオレじゃなくなる、と自分を追い込みました。その答えを、3年間の答えを、その時確かに手に入れたのです。
劇公演が全て終わり、帰宅後は40度の熱にうなされ、浪人したのち大学に入ります。
会社員時代。手に入れた「自分軸」は失われていった
大学卒業後の進路はテレビか広告で迷った末、テレビの世界に進みます。7年勤めたテレビ番組制作会社では、数々の日本テレビ系ゴールデン番組制作を担当しました。入社後すぐに厳しい修行が始まり、寝る間も休みもない中で、学生時代にやっとの思いで手に入れた「自分軸」は次第に失われていきました。
入社して6年ほど経った頃、親友が独立してカフェバーをオープンしたことをきっかけに、高校時代に悶え苦しんだ時期が再びよみがえりました。オレは本当は何がやりたいのか? このままズルズル会社員でいいのか? 「気の合う仲間と行動して、伝説を作る。そして生きている手応えを感じる」そうだ、オレの軸はこれだった。
それから会社員をしながら、異業種の奴らに声をかけてチーム作りをはじめました。いってみれば「独立準備」です。まずは仲間が集まるカフェバーのような空間、箱を作ろう。そこに集まった気の合う奴らがあーだこーだ話す中で、新たな事業が生まれるような空間を。
事業の柱は1本だけでなく2本・3本用意しておけば、なにかあっても立て直せると考えました。例えば映像がダメならイベントで勝負、というように。仲間の力を借りて柱の数を増やそう、それが実現できる空間として生まれたのが、「部室」と呼ばれ愛用した当社都内オフィスです。現在「部室」は沖縄に移転しました。
2012年8月に独立し、その年の12月、赤坂BLITZを貸切って1500人を動員するイベントを開催しました。仲間と話している時「年末に大人の文化祭やりてーな」なんてノリから始まり、2012年12月29日の午後から夜まで赤坂BLITZで実現したのです。その日に赤坂BLITZを、しかも個人で貸切るというのは無謀な話ですが、奇跡的にキャンセルが出ました。それから死ぬ気で集客し、2週間で1500人を集め、当日はステージにプロレスリングを立て、神取忍さんやダンプ松本さんが登場。これから芽が出るアイドルやミュージシャンも出演し、それは盛況な大人の文化祭になりました。終わった後の達成感も大きく、幸せに満ち溢れた時間でした。独立して初めて、生きている手応えを感じた瞬間でした。
永野豪の3つの仕事の流儀
①得たお金の投資先に、その人の生き様が現れる
赤坂BLITZのイベントは大盛況に終わり、自分軸で生きる喜びを実感できる経験でしたが、収入面ではゼロどころか赤字。自分軸で生きるためには、それを実現させるための収入源がなければ成立しないと痛感します。2013年6月に株式会社RBPを起こしてから、得意分野である「動画制作」を主軸に事業展開しています。大手企業からいただいた案件も有難いことに競合大手広告代理店にコンぺで勝ち、受注をいただいております。
なぜ大手広告代理店に勝てるのか? これも、仲間の協力があったからこそです。赤坂BLITZのイベントで一緒に戦った仲間が繋いでくれた縁でした。あの時はお金にならなかったけれど、お互いちゃんと成長して大きな案件に挑み、成果を出すことができた。
すべては「循環」、愛の循環です。私は「愛の循環で回す」ということを仕事の流儀にしています。
得たお金をどこに投資するか、そこにその人の生き様が現れると思うんですよね。
利益を得られるのもお客様のおかげだし、仲間の支えです。だからこそ、私はその方たちに恩返しをしたい。そこで定期的にエンタメイベントを開催しています。200から300人を集めて会費は無料、そこで私が「愛と笑いを与えて、お金にならないトークイベント」をやるんです。1時間半くらい、パワーポイントで300枚もの資料を作ってシュールなネタをやります。そんなことをしても一銭にもならないけれど、お世話になった方には愛と笑いで恩返ししたい。ただただ、与えたいのです。
今「シュール」という単語を使いましたが、私はこの「シュール」を大切にしています。
辞書では、シュールは非日常とか非現実という意味がありますが、私はこの言葉を「力の入れどころを間違えること(お金と時間)」と定義しています。
お金と時間の力の入れどころを間違えるとはつまり、たとえば、私が主催するトークイベントがそれに当たります。一銭にもならない。でも、たくさんの人に笑いを提供できるし出会いの場を提供できる、つまりは人生を豊かにできる。でもシュールはお金にならない、だから食うための仕事をして、その利益で恩返しする。まさに「愛の循環」です。
②人がモノを購入するまでの「4ステップ」を満たす
冒頭で「キャラ立ちセミナー」でジャンケンに勝った人に公開セッションをしていると話しましたが、PR動画制作においては動画制作前に3時間、徹底的にクライアントのヒアリングを行います。15分の公開セッションと同じように、ホワイトボードにクライアントの生きた歳月をヒアリングし、記していきます。バラバラだった過去の出来事を線で繋ぎ、クライアントのキャッチコピーや「自分軸」を言語化した上で、内容を95%そぎ落とし、わずか3分30秒の台本を作成します。
人がモノを購入するまでには4ステップあります。そこで当社のPR動画制作では4ステップ中、3ステップまでを視聴者に提供することを約束しています。
人がモノを購入する4ステップとは
1.興味、2.信頼、3.体感、4.購入です。
まずは「興味」。あの子可愛いなとかパンケーキ美味しそうとか、感情からはじまります。でも興味だけでは人は買わない。そこで「信頼」を視聴者に提供します。安心感や具体的数字を映像で表現します。
さらには「体感」です。エステなども体感コースがあるように、体感していいなと感じれば購入するし、人にも紹介したいと思いますよね。まるで体感しているかのように視聴者が感じられる動画を作ることで、お客様の売り上げアップや成約率アップを約束するのです。
動画制作において、「作品事例」は実績とはいわず、単に「制作事例」にすぎません。実績とは、お客様の売り上げが◯倍アップした、成約率が◯%アップした、という数字です。弊社はそれをお客様に約束し、ご満足頂いています。
③決して否定しない、相手の発言を必ず受け止めキャッチボールする
相手の話を決して否定せず、相手の発言を拾って笑いに返す、これは仕事でもプライベートでも大切にしています。よく「 ◯ ◯は△円の価値はない、だまされた」「今の話にはオチがない」という発言を耳にすることがありますが、それは「逃げ」じゃないかと思うんですよね。
例えば私は自称美容オタク健康オタクで、さまざまなグッズを愛用しているのですが、一年使っても効果を感じられないモノがありました。けっこういいお値段でした。でもそれを「だまされた」と思ったらそこで「損をした」で終わりですが、その金額分の笑いのネタにしてしまえば、お値段以上の価値が生まれるかもしれない。「だまされた」と言うのは簡単だけど、笑いに変換することで、新たに生まれるものがあります。
また、相手が言ったことにたとえ興味を持てなくとも、それを拾って笑いに返してあげれば、そこから幸せが生まれる。みんなが笑えることって、つまりは愛だと思うんですよね。
永野豪の未来図
昨年から、バンタンデザイン研究所という専門学校にて、学生たちに動画制作を教え始めました。そこでは動画制作のノウハウだけでなく、仲間と繋がること、仲間と自分たちの想いを作品にして具現化することの大切さを伝えています。そこの卒業生が成長して、将来一緒に仕事できたりしたら……きっとそれは実現すると思うのですが、考えると胸が熱くなりますね。
これから先、PR動画制作ではさらに競合に勝ち抜き大手企業と仕事したい、実績をあげていきます。昨年からは沖縄との2拠点生活を実現させ、3LDKの平家をスタジオ兼住居にして楽しんでいます。でも、「夢」は何かと問われたら、別にねーなーとも思いますね。定期的に夢を100個書き出し具現化させていますが、将来は絶対デカイ人物になるんだなんて「夢」は、ありません。
私の合言葉は「上で会おうぜ」なのですが、由来は大学時代にさかのぼります。友人と電話して切る時に「おそらく某俳優がこんなことを言って電話を切ったであろう」言葉を想像し、仲間内でケラケラ笑って生まれた言葉でした。
その後、独立前に作ったチームで「合言葉を作ろう」「上で会おうぜ」はどう? とノリで提案すると、「お互い高みを目指して成長し合いながら、より高いステージで会おう」という意味ですねと後輩が意味を付けてくれ、今も愛用しています。始めるきっかけはノリでいい、後から意味を付け足し、本気で集まった仲間と全力で進めば、次はお互いより高いところで会える。
私はこれからも「気の合う仲間と行動し、伝説を作る。そして生きている手応えを感じる」という自分軸をもとに、手段をかえながら具現化し続けます。手段は動画制作であり、イベントやセミナー開催であり、講師業であり、さらには新たな柱が生まれるでしょう。不安は無いか? いや、不安がなくなることはありません。でもそれとうまく共存する方法を知っています。「上で会おうぜ」と仲間と励ましあい「愛の循環」で回しながら、日々新たな挑戦を続け、ちっちゃな伝説を積みあげる。これが永野豪の生き方です。
永野氏はまもなく独立10周年を迎える。さぞ大きな野望があるのだろうと想像したが、「サウナ後、安くて渋い赤提灯で友人と語り合うのが幸せ」「自分がお弁当を作って女の子とピクニックするのが幸せ」「2000円もあれば充分幸せです」などと宣う。まさかそんな…と思ったが、これは本心なのだと理解した。
「自分軸」で生きられるようになれば、人は満たされ、常に幸せや愛に満ちあふれた心でいられるのであろう。永野氏は高校時代に一人苦しみ抜き「自分軸」を手に入れた。その時の達成感について、話を聞く誰もが共感し、羨むこと間違いない。
おそらく多くの方にとって高校時代は過ぎ去り、周囲と徹底的に距離をおいて「自分軸」を手に入れることは不可能だろう。でも、やれることはやってみたい。たとえば一日10分でも周囲と距離を置き、自分と向き合うことならできそうだ。永野氏があまりに幸せそうに語る「自分軸で生きる」ということを、残りの人生で体感したい。
人生は一度きりだ。そして、一生付き合う相手も自分だけ。「自分軸で生きる」ことがいかに重要であるか、10年成功し挑戦し続ける経営者から学んだ。
本記事は「作家たちの電脳書斎デジタルデン」編集部作成、2022年3月29日掲載記事を転載したものです。内容・状況などは記事作成当時のまま掲載しています。