自分の人生のレールを敷くのは、自分以外にはいない。 〜カメラマン 阿部拓歩〜

混沌とした時代に新しい働き方、新しい発想でしなやかに果敢に挑戦する人物をインタビューし、その生き方やマインドを考察する新コーナー。トップバッターは、徳島にて85年の歴史を誇る「阿部写真館」4代目社長、阿部拓歩氏だ。徳島を拠点に大阪、京都、茨城に5店舗のスタジオを構え、自身は昨年購入したキャンピングカーで日本全国を旅しながら撮影するという異色のカメラマンだ。柔らかな笑顔にはどんな秘密が隠れているのか。阿部拓歩氏の生き方とマインドを追った。

名前の由来どおりの人生を歩むと決心した理由

昔から自分の名前の意味について考えていました。「拓歩」=「自分の道を開拓して歩く」。生まれてみると、僕の目の前には立派なレールが既に敷かれていた。創業85年「阿部写真館」4代目。初代は子供がおらず2代目は養子縁組、3代目である母は一人っ子で父が婿養子。そして4代目にして待望の男の子が生まれた。それが僕です。立派なレールと、将来はここを継ぐのよという強烈なメッセージを受け取りました。

でも、子どもの頃は「かくれんぼ」のルールも自分で作り変えて遊ぶような子でした。ルールは自分で決めたい、人のルールでは遊びたくなかった、勝ちたいから(笑)。

既に敷かれたレール「阿部写真館4代目社長」を進むのがイヤで、16歳でミュージシャンを目指し徳島を飛び出しました。東京でミュージシャンとしてデビューするチャンスを掴みます。でもそこで言われました。「自分の好きな音楽ができると思うな。ミュージシャンは商品だ、その商品として相応しい振る舞いをしてくれ」と。ビジネスの世界、大人の世界の厳しさを目の当たりにしました。

自分のやりたいようにやりたくてミュージシャンを目指したのに、また人に敷かれたレールを進まなければならない。それはイヤだ。ではどうしよう。僕は「阿部写真館」4代目だ。ならば実家を継ぎ、そこで自分のレールを敷いて進んでみようと決意。ミュージシャンの夢を終わらせ徳島に戻りました。

そこから写真を学び、経営を学びました。大阪に店を出し、店を軌道に乗せました。では次は東京でやってみよう、代官山に事務所兼自宅を構えました。そして2020年コロナウィルスが流行し、さてどうするか。1箇所にとどまるのは窮屈だとキャンピングカーを購入し、現在は日本全国を巡り撮影しています。

恐れや不安は当たり前、不安なのが正解である

自分の人生なのに、人のいうことを聞いて我慢して生きるのは苦しいと僕は感じます。不安、ですか? 常に不安ですよ。僕は不安は克服しません。不安なのが正解だと思っています。自分の道を自分で切り開くということは、誰も今まで歩いたことがない道を切り開くということ、アドベンチャーです。明日死ぬかもしれないという不安を抱えていることが生きる証であり、それが僕の生き方なのだから仕方ありません。

大阪や東京に進出した理由は、徳島で終わりたくないという思いもあったけれど、何より一緒に働く仲間を守るため。「阿部写真館」は徳島で85年の歴史がありますが、人口3万人という小さな街だけでビジネスをしていては、歴史を守ることはできない。徳島で働いてくれる社員や家族を守るためにも、時代の流れに逆らわず、資本主義というルールの中で勝てるゲームに挑まなければならない。いわば「資本主義ゲーム」です。このゲームに挑むために、自分の欲望と仲間の幸せ、そして時代の流れの3つをチューニングさせ、自分の道を開拓して突き進んでいます。結果、今の「阿部写真館」はあります。

自分の道を開拓して歩くということは、どこにも存在しない攻略本を自分で作りながら進むということですから、常に不安はつきものです。でも、不安を抱えていることが、正解だと思っています。

阿部氏が撮影した映画のポスター。若年性パーキンソン病を患いながらも圧倒的才気で会社を東証一部上場企業にまで押し上げた経営者、松村厚久氏のドキュメンタリー映画

自分だけの「唯一無二の強み」を発見する

22歳から写真をはじめ、経営者と現役カメラマンという二足のワラジを履いた資本主義ゲームがスタートしました。アーティストを目指したこともあり、プレイヤーであり続けたいという思いがありました。これから先、どうすれば篠山紀信氏や蜷川実花氏に肩を並べられるだろう。普通に考えればどうやっても無理なんですよ。当時30歳、写真の経験は10年に満たない。試行錯誤しさまざまな出会いや失敗を経験する中で、「経営者のポートレート写真撮影」にいきつきました。

僕は20代半ばから経営というものをやってきて、資金繰りのツラさや社長の苦しみは篠山紀信氏より知っていると思ったのです。写真は被写体との「対話」が一番大切だと考えていて、どれだけ被写体と深い話ができるか、相手を理解し、相手の本質をあぶり出せるかが勝負です。僕は経営者とだったら「対話」出来ると考えた。経営者の悩みや苦悩を共有できる。逆に、女優という職業のことは全く知らない、女優とは残念ながら対話できない。自分という人間の「唯一無二の強み」を見つけました。

そこから8年、ベンチャー起業家を撮り続けました。GMOインターネット株式会社の熊谷正寿氏や殿堂入りしたプロ野球監督、現役総理大臣から皇室まで2000人以上の人物を撮影しました。ベンチャー起業家を撮る写真家として、セルフブランディングは確立できたと考えています。

「唯一無二の強み」を発見すること、それが資本主義ゲームに勝つための正解なのかもしれません。「正解はあなたの中にある」ということなのかもしれません。

阿部氏が撮影したポートレート写真 故星野仙一氏

時代の流れに逆らうな。その上で自分の信じる道を進め

写真館の業務はスタッフに任せ、僕は現在、キャンピングカーで全国各地を撮影しています。『旅するフォトスタジオ』として日本全国に出向き、主にウェディングフォトを撮影しています。「フォトスタジオ自体が動いたら面白いな」という発想から生まれました。

お客様の自宅近くまで迎えに行き、手足を十分に伸ばせるキャンピングカーの中で事前予約した衣装に着替え、プロがヘアメイクを担当します。撮影は今の時期は紅葉の美しい場所がいいですね。キャンピングカーで移動して撮影スタート、終了後は集合場所まで送ります。思い出の海岸での撮影や桜並木、東京駅前の撮影も人気です。

キャンピングカーはまだ1台しか稼働していませんが、いずれは20台くらい走らせたいと企んでいます。ソフトバンクの孫正義社長がよく言いますが「時代の流れに逆らうな」と。これからは自動運転の時代が来ると言われ、そうすると必然的に移動コストが下がり、移動革命が起こる。このキャンピングカーでの出張型撮影サービスを、10年後の自動運転が主流になる時代に形になるよう計画しています。

自動運転が当たり前になれば、恐らく従来のサービスは大きく形を変えざるを得ないでしょう。写真撮影サービスも送迎付きで、車の中に居ながらにして移動も着替えも支度も写真撮影も全て完了するものが求められる。それを見こした『旅するフォトスタジオ』なんです。

もちろん、これだって当たるかどうか分かりません。なにせ誰も進んだことのないところにレールを敷いて進むわけですから。時代の流れに逆らわずに、当たるか分からないけれど「こっちちゃうかな」と思ってやってみることが大事だと僕は思っています。正解なんてやってみないと分からないのですから。

阿部氏撮影 ウェディングフォト

突き動かされる原動力の正体

立派な話ではありません。ただ、「阿部写真館は4代目が潰した」とは言われたくないんです。たまに夢に出てくるんですよ。徳川15代将軍みたいに、初代が真ん中にいて1代から15代まで正座して大広間に大集合している。全員の将軍の名前って言えますか? 家康、家光、綱吉あたりはすぐ出てきますか。でも4代とか6代とか、あまり知られていないですよね。僕は4代目だからこそそうはなりたくない(笑)。4代目として後世に最高のパスを出して死にたい。それが先ほどのキャンピングカー計画であったり、その他にも新たにチャレンジする「映画制作」であったり。

「写真」はあと30年続くかと危ぶんでいます。これからはどうしたって「動画」の時代ですから。だから、映画を作ることを始めました。自分の持つリソースを映画制作に発揮できると見込んでのスタートです。動画編集やレンズ、光のこともわかる。昔ミュージシャンを目指した頃、趣味でやったレコーディングも役に立つ。かつ写真館では衣装もメイクもやっているので、写真館が映画製作所になる。自分の持っている資源を最大限に生かし、かつ時代の流れに合致している、これはやるしかないと。

「夢」だとかそんな立派なものではありません。「計画」ですね。僕の中では「創業300年計画」というものがあって、徳川家のような歴史を残してみたい。次世代に投げるパスとして、キャンピングカー計画や映画制作を企んでいるわけです。でもこれだって、次世代が「イヤだ」と言えばそれまでです。わかりません。自分の中にある欲望にプラスして、世の中と自分と仲間の幸せが交わるポイント、Win-Winになるポイント、それを見つけ自らレールを敷き、結果自分もみんなも満たされる、それを目指すだけです。

いわゆる「お金」を価値基準にしたことは「資本主義ゲーム」であるけれど、僕の人生には「資本主義ゲーム」以外にも大切なことがある。家族や友人と深く付き合いたいとかギターがうまくなりたいとか日々笑って暮らしたいとか、そんなことも僕の人生には必要です。全部を大切に、バランスよく生きていきたい。毎日遊んで暮らしてやろうと思いながら生きています。

大きな瞳は時折鋭く光り、相手の目をジッととらえ、獲物を逃がさないようなすごみを感じる。一方的には決して話さず、質問をまじえ相手の理解を確認したうえで話を進める。阿部氏の語りは、講演家顔負けのエネルギーと説得力に満ちている。名前はその人自身を表すと言われるが、ここまでも自身の名前に使命感を持ち生きる人に初めて出会った。

自分の人生のレールを自分で敷く、それはしごく当然で誰もが平等に与えられた権利だ。誰もが自由で、無限の可能性を秘めている。ただ残念なことにその「攻略本」は存在しない。なぜならあなたは「唯一無二」の存在だから。常に「不安」と隣り合わせで孤独を伴うが、一方で「正解」はあなたの中にある。「攻略本」は存在しなくとも、我々はこうして先人から「ヒント」をもらうことができる。新しい時代の新しい働き方。しなやかに逞しく、唯一無二の人生を生き切りたい。

阿部拓歩オフィシャルサイト
旅する阿部写真舘サイト


本記事は「作家たちの電脳書斎デジタルデン」編集部作成、2021年11月20日掲載記事を転載したものです。内容・状況などは記事作成当時のまま掲載しています。

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